めいそうえっせい

色々と心のままに

瞑想修行の日々

昨日の朝は久しぶりに良い瞑想ができた

 

まあ実は瞑想の良い悪いは本当にそうかどうかは疑わしい

 

主観的には良い悪いはあるのだが自分の深い部分にとってどうかは

分からない

 

ただ不思議なことが一つ

瞑想が終わった後に眠ってしまったのだがその際になぜか

「特」という字がイメージとして脳裏に鮮明に浮かんできたのだ

 

意味は全く分からない

意味などないのかもしれない

決して夢ではないのだが

 

時々赤ん坊の面倒を見ているので(もちろんほとんどは女房が)そのお礼を

兼ねてと長女が近所の寿司屋に行こうと言い出した

久しぶりに長女の旦那も来るしということで嬉しくなって昼間だからと

自分に言い訳して酒を飲んだ

 

あれこれ話しているうちに瞑想の話になり長女の旦那は少なからず興味が

あることがわかった

長女も小さい時に瞑想を習っているが実際にはほとんどやっていない

ただ推測するに父親である自分が瞑想によって大きく変化したことをよく

知っているので旦那にも勧めたいと思っているらしい

 

色々説明しようかとも思ったが変に力が入っても誤解されると思い

本を貸すことした

それは俳優の秋野太作氏が書いたもので自分が瞑想を始めるキッカケになった本

である

30年以上前のもので今は絶版となっているが秋野氏の私生活から始まって瞑想

を習いその後の生活の変化などが克明に描かれていて読み物としても面白い内容

になっている

 

瞑想自体は現代人にとって非日常的ではある

しかし30年以上にわたって瞑想を行ってきた経験からすると今や自分にとって

瞑想は日常である

毎日食事をしたり電車に乗って仕事に行くことと何ら変わらない

もし億万長者なら毎日片道1時間もの電車を乗り継いで仕事に行くということ

は多分日常とは思えないだろう

 

瞑想によって自分の深い部分にアクセスすることは真の意味でリフレッシュ

することだと思う

時には本当に生まれ変わったかのように感じることさえある

 

そしてその本当の目的は瞑想によってアクセスできる深い部分の体験が日常

になるということだと思う

 

早く来ないかな