めいそうえっせい

色々と心のままに

定年後の日々

今日、ラジオドラマ脚本の応募を完了した。

 

今回の作品は自分ではすごく気に入っているのだが知人の評価は概ね

芳しくなかった

ところが弟に送ってあったものを奥さんが読んだらしくラインが

あって、そこには、号泣!、感動!とあって一気にテンションが上がった

 

これで落語、ドラマ脚本に続いて3作品となる

 

自分でも面白いと思うのは全て形式が異なっていることだ

 

それぞれ書いてみて非常に勉強になったと思う

 

落語では台詞が中心になる(背景や状況も全て台詞のみ)

ドラマ(映画)脚本では時間軸が重要になる(台詞と音と映像)

ラジオドラマ脚本では音のみで描写せねばならない(台詞も含め全て音)

 

一番学んだのは多分構成力だと思う

一つのシナリオをある枠内にきちんと収め物語として成立させる

次は表現力

脚本は背景や状況を示しにくい

ラジオドラマなんかは最たるものだ

 

どう視聴者に分かってもらうか

説明的な要素が増えると白ける

映画なんかでよく使う手は、会議で誰かに語らせるやり方だ

刑事物でもビジネスものでも結構使われている

 

今話題の半沢直樹なんてのはナレーションを多用している

やはり原作があるので細かいところは表現しにくく止むをえないのだろう

原作や脚本ではなく役者で当たった稀なケースなのだろう

そういえばDrーXなるものもそうか

米倉涼子のハマり役が効いている、脇役もいい

シナリオは大したものでもないのだが

 

よくよく見てみると今のTVドラマは、色恋ものか、刑事・推理ものに

大別されているようだ

一時は時代劇やビジネスものもあったやに記憶しているが今見かけることは

皆無だ

あとホームドラマ(コメディ)の類もない

 

なぜだろう

 

まあシンプルにいえば視聴者のニーズを反映しているわけだが

 

流行同様ニーズは移り変わることを考えると、今後はまた時代劇や

ホームドラマなんかが生まれるかもしれない

 

映画はどうだろう

 

先日「記憶にございません」を見た

三谷氏には申し訳ないのだが古臭い匂いがした

 

相変わらずのリアリティの無さはまあいいとしてこの作品で

笑うところがない、泣けるところもない

と思ったのは自分だけだろうか

 

ただこれが三谷作品久しぶりのヒットだそうで66億円もの興行収入

あげたらしい

つまりは概ね好評だったということだ

 

日本映画が完全に韓国に遅れを取っていると何かの記事で読んだが

その通りだと思ってしまった

以前にもバーニングという村上春樹原作の映画が韓国人監督で作られたが

その衝撃は凄かった

あのような映画は今の日本では絶対に無理なんだろう

万引き家族がいいところか

(もちろんこれは良い映画だったが)

 

見終わった後に何物かを深く心に残す映画はもう日本人には作れないのか

 

これはなぜなんだろう

 

あくまで推測かつ私見だが

 

利益優先主義だからではないか

 

いかに売れるか、いかに見られるかに終始してしまう現状がありそうだ

 

とにかく映画に一本、主張がない、ポリシーが感じられない

 

村上春樹の小説みたいなもんだ

 

ずっと34歳だかのメタファーなるものを引きずっている「僕」

 

6年ぶりだかの「一人称単数」もアヤシイなと思いながらまあ読んでみた

 

なんだあれは

 

あんなものを6年もかかって書いたのか

 

村上春樹独特の心象風景なるものをよく分からない比喩で持って

覆っているだけ

そうすれば読者の心のどこかに引っかかって共時するだろうみたいな

 

読後何にも残らない

 

あれじゃノーベル賞なんか取れるわけがない

 

はっきり言おう

彼は34歳から精神的にまったく成長していない夢見る乙女(男)なのだ

 

まあ世界的に同様な連中はたぶん山ほどいるだろうから特定のファンが

つくのもアリなんだろう

そして売れる

それだけのことだ

 

男はつらいよの寅さんやさくらの言葉の方が1万倍も重みがある

あるいは鬼平犯科帳長谷川平蔵の判断力や裁き方などもそう

 

何が違うのか

 

簡単なことだ

村上春樹には幻想はあっても経験がないのだ

深い経験から生まれるものが何もない

だから幻想や34歳に戻らねばしょうがない

 

男はつらいよ山田洋次監督や鬼平犯科帳池波正太郎には人生の

経験値が圧倒的に高い

その深さから生み出される言葉や描写は根っからの村上春樹ファンには

分からないだろう

 

医学の基礎研究と同様、それが損なわれると長い間には臨床含めた医学

そのものの発展が損なわれると同じことなのだ

 

基礎研究は利益にならない、お金がかかる

真に良いドラマや映画も同じかもしれないが、そこに人・モノ・カネを

つぎ込んでいかないといずれ日本の映像文化は衰退する

 

いやもう手遅れかもしれない