めいそうえっせい

色々と心のままに

久しぶりの墓参り

正月以来の墓参りに実家に行った

 

親父の墓所、親父方の墓、母方の墓を回った

 

親父が死んで10年になる

 

今頃どうしているだろうか

 

輪廻転生を疑わない自分としてはすでにどこかで生まれ変わっていることだろうと思う

 

どこかで新たな肉体を得て新たな(同じかも)人生をスタートしているんだろう

 

前世でなし得なかった新たな課題を持って

 

今度は瞑想をやってくれるだろうか

 

寡黙で頑固な親父だった

 

職人気質と言ってしまえばそれまでだが

 

素直なようで自分の主義主張から外れることは頑として譲らないようなところがあった

 

もちろんその傾向は自分にも引き継がれている

 

いわゆる了見の狭いところがある

 

変なプライドがある

 

それでいて小市民的だ

 

こうやって書くと悪ところばかりだな

 

鷹揚で太っ腹でいたいと思うこともよくある

 

小さいことを気にしすぎないでいたい

 

自分はどちらかと言うと音に鋭敏だ

 

例えば新幹線で誰かの打つパソコンのタイピングの音が気になったりする

 

家にいて道路に止まる車のエンジン音が気になる

 

なぜエンジンを止めないんだろうと思ったりする

 

自分だったらすぐ止めるからだ

 

人は自分が気になることを誰かにはしないものなのだろうか

 

その傾向はあるなあ

 

しかし自分がやられて嫌だったことを無意識にやってしまうこともあるのではないか

 

よくいうDVやイジメなんかは自分がされた経験が元になっているとも聞く

 

逆にいえば愛情たっぷりに育てられれば他人へもそのようにすると言うことだな

 

つまり何らかの経験(前世も含めて)が行動や言動のタネになる

 

まあいわゆるカルマ(業)と言うやつだ

 

カルマや業というと悪いイメージが強いが良いものもあるだろう

 

陰徳を積むというがこれなんぞは自分の次の人生だったり子孫のためだったりする

 

確かに運(命)と言うものはそのようなものに影響されていると思える

 

何でもエネルギーとするならば作用反作用の法則が働くからだ

 

マイナスのエネルギーを放射すればいつか等分のマイナスエネルギーが戻ってくるし

プラスも同様だ

 

陰徳を積むと言うことはプラスのエネルギーを貯金のように積み立てることに他ならない

 

と言うことでいつかの経験がこれからの言動や行動の元になると言うこと

 

そして瞑想というものはそのいつかの元になる経験から発生する影響を消し去るものなのだ

 

つまりタネをなくす

 

ではプラスのタネはどうか

 

ここは難しいところであるが今回の内容に照らせば実は強まる

 

マイナスと言うものは実は心のキズでありプラスは心の滋養である

 

瞑想は心のキズを修復し滋養をより豊かにする

 

まだまだ深い理解がいることではあるのだが