今いるこの隠居部屋を転居することにした
振り返ってみればちょうど一年になる
色々あったが楽しい一年だった
定年を迎えるにあたって、とにかく家を出て行ける場所を確保しようと思ったのがきっかけだった
この前何かで読んだ
高齢者には「きょういくときょうよう」が大切だと
つまり「今日行くところと今日用事があること」
言い得て妙
会社の親しかった大先輩が定年後に、自分の親と奥さんの親の両方を毎日のように介護していて、大変ではありませんかと聞くとそのうち分かるよと言ったことを思い出す
つまり、時間が有り余っているので、大変は大変だが「きょういくときょうよう」があるという意味だったのだ
隠居部屋の効果は絶大だった
テーブルと椅子とパソコンがあるだけだが、ネットがあるだけで様々なことが可能になる
おかげで、脚本や小説を書くという趣味に巡り合った
もともと小さい頃から絵とか粘土細工が好きで創作そのものが性に合っていたということもある
ただこれほどのめり込むとは自分でも想像し得なかったほどだ
しかも絵や粘土などと違ってコストがかからない
自分の頭の中で無限に膨らむし膨らませることが可能である
ただ一点難点は目が疲れることだろう
集中して数時間パソコンに向かって書いているとやっぱり疲れる
本来は1時間おきに休憩を取るのが良さそうだ
もちろんこれは家の中でやれないこともないが、何しろ気分が違う
自転車で10数分だが、途中の川沿いに広がる公園には春には梅や桜が咲き乱れ、初夏は新緑が眩しく、秋には紅葉が美しい
ここに家を出る=きょういくがあり、
創作する=きょうようじがある
両方を満たしているわけだ
欲を言うならもう一つ
これで小遣いでも稼げれば最高だ
当初は結構コンクールや賞に応募もしたが最近はあまり興味がなくなってきた
もともと思っていたそのような野望?はどちらかと言うと承認欲求だと気づいたからだ
定年して仕事を離れると、二つのことが気になってくる
自分は社会で役に立たない、必要とされないのかと言う思いと、なんとか会社の連中にまだオレは元気で活躍しているぞと見せたいと言う思いだ
男にとってこの二つは結構きつくのし掛かる
誰もが思っているが余程じゃない限り誰も言わない
痩せ我慢する
あえて言うがこの気持ちは女性には分からないだろう
ずっと社会人として自立していた女性なら分かるだろうが
ただこの二つとも時間の経過とともに剥がれ落ちいずれ消え去る
なぜなら虚構だから
幻なのだ
勝手な思い込みに過ぎないといずれは気づく
どうせ65だろうが70だろうが80だろうが、なんとか頑張って働いてもこの二つはその後に必ずやってくる
もちろん長く働いた者は他人と比較して自分を慰める
しかし先ほどの2つが幻と気づくと今度は余りにも残された時間と頭と体力が少ないことに気づき愕然とする
そこからきょういくときょうようは難しくなる
アーリーリタイアを目指す人たちは自分がやりたいことをしっかり見据えている人が多いだろうと思う
単に金に困らない生活を目指すアーリーリタイアではどこかでまた舞い戻ることになる
自分は幸いにも十分会社生活をやり切ったし後悔も一切ないしもっと働きたいと言う思いも全く残ってはいない
そこだけは本当にありがたいと思える
ただオレは違う道でまだまだ頑張って輝いていると言うことを会社の連中や友人に示したいと言う承認欲求はあった
その意味で創作が賞を取れたり、作家としてデビューしたいと言う思いはあった
しかしそれがなくなった
どうでも良くなった
書いていることそのものが楽しいからだ
ああもう一つ
小説講座でそれを披露する機会があるのも大きい
講師には色々言われても読んでもらえるだけで嬉しいのだ
続く