拓真と天心
予想に反する拓真の圧勝劇に心が震えた
あくまで一ボクシングファンとしてだけれども、勝負の差を分けたのは、「勇気」ではなかったか
出足、拓真は硬く、一方の天心はリラックスが見えた
これは一方的にやられるかも、と思ったほど
拓真のジャブは伸びず、天心への警戒が過剰だった
あと半歩前に出られればと思いながら見ていた
4R終了時点でドロー採点には正直驚いた
1、2は天心、3、4を拓真につけたのだと思うが、個人的には拓真はせいぜい一つ取れたかなと見ていたから
あれでいけるとなったのが拓真で天心は動揺したと思う
その後、拓真は作戦チェンジしたのか、前に出る
するとジャブも当たり、拓真の距離になった
慌てた天心には焦りが見えた
本来ならば、前に来る拓真に天心は真っ向から迎え撃つべきだった
つまり天心は引いてしまい悪い癖が出た
あれではボクシングは勝てない
井上尚弥が強いのはパンチ力とか技術もさることながら、何より引かずに打ち合えるハートにある
拓真は自分にパンチ力もスピードも乏しいと自覚しているがゆえに、どうしても戦い方が引きになる
前回のタイトル戦で堤に敗れたのもそのせいだった
拓真は一皮むけたかもしれない
一方の天心は、新しいボクシング云々と喧伝していたが、それは自分を鼓舞するためのものだったことが明らかになった
実際には自分のボクシングスタイルが確立できていない裏返しだったように思う
天心のこれまでの戦い方は、居合斬りのような一瞬の間の中にあった
キックボクシングではそれが成立した
パンチのみのボクシングではスタイルを変更せねばならないだろう
基本的にはカウンターパンチャーなので、長谷川穂積スタイルが良いと思う
長谷川穂積には「勇気」があった
不用品の処理
とにかくカミさんはモノを捨てない
モノを大切にする心はいいけれど、度を過ぎると困る
家の中はモノで溢れる
ちょっとした隙間にでも突っ込む
いつか使うかも知れないと彼女はしたり顔でいう
ぼくは捨てる方なので(そもそもあまり買ったりしない)、時々嫌味を言ったりするのだが、あれってなかったっけなどと言って、カミさんがどこからか持ってくると、ほらと自慢げな顔をされるが、そんなことは年に一度あればいいほうである
それにとにかくストックが半端ない
たとえば洗剤のたぐいなどは、一体同じものがいくつあるのかというくらいあるし、しかもそれらが、渾然一体となって押し込んであって、そもそも目的のものを探し出すことが困難なのだ
万事が全てこんな感じなので僕は半ば諦めている
もういいや、僕は僕でやろうと思い、自分の衣類の入っている押入れとタンスから、衣類を整理しようと思い立った
それが大きなビニール袋五つにもなった
ゴミの日に出すつもりでいたら、もったいないから衣類回収ボックスに持っていくと、カミさんが言い出した
じゃあ頼むよと言ったはいいが、数日経っても、持っていく気配がない
いつ持ってくのと聞くと、半分逆ギレし、私のタイミングで持って行かせてよ、大体親切でやってるんだからとほざいた
ちょっと待てと
こっちが頼んだわけでもないし、そっちが自分から言い出したことだろうと僕
最後には今度はリサイクルショップにまず持っていくと言い出した
邪魔になってしょうがないが放っておくことにした
次にはもののなくなったタンスと、かねてから気になってしょうがなかった座椅子の処分である
タンスも座椅子も綺麗で、さすがにそのまま捨てるにはもったいない
業者に見積もりを取ったが、売れるどころか、廃品回収としてお金がかかるという
それも二万!
タンスはブランドものでもない限り、なかなか売れないそうだ
確かに僕だって、家電はともかく、タンスを中古で買おうとは思わないし
メルカリに出そうかなと思ったが、手数料10%取られる上に、配送料もたぶんこちら持ちじゃないと売れそうもない
なんとなくやり方が悪どい感じがして、ほんとメルカリって大嫌い
やたらめんどくさい会員登録をさせておいて、問い合わせにさえきちんとした対応をしないし
まあいいや
ということで、儲けたいつもりもなく、ただもったいなくて誰かに使って欲しいだけだから、ジモティに出した
そうしたら引き取り手が見つかり、無事に二つともが我が家を出ていったのである
寝室にちんざましましていたタンスがいなくなりスッキリ
三階のロフトの階段前になぜか陣取っていた座椅子がいなくなりスッキリ
これで多少はカミさんもものを整理することが大切だと気づくかと思った
ところがである
もう一つ気になっていたロフトにあるキャリーケース
こいつは車輪がうまく動かず、過去に持ち出したはいいものの、とんでもない方向へ勝手に進んでいくものだから、めちゃくちゃストレスがかかるシロモノ
もちろん僕は自分で修理しようと色々調べたりもしたがダメだったやつで、カミさんに捨てようと言っていたやつである
あれってどうした?
まだあるよ
平然と答えるカミさん
どうすんの?
粗大ゴミに出さないとね
いつ?と聞こうとして僕はやめた
自分でやる
コメと政治に関する推論
小泉さんがコメ担当大臣とかになった
この流れについてこういう図式になっていると推論した
例の舌禍もあり、交代は早まったかもしれない江藤さんが、そもそも持たないことはわかっていた
ではどういう絵を描くか
国民の怒りがマックスで江藤さんを交代させ、若手ホープの小泉さんを登板させ、もしコメの値段がそれこそ3000円そこそこまで落ちればどうなるか
当然よくやったとなるだろう
交代させた石破総理の株はもちろんのこと、森山幹事長も懐が大きいとなり、引いては自民党自体の浮揚につながる
農林族代表の森山さんが、小泉さんの「族や団体に気を使わない」という条件を呑んだとのことだが、当然ながらそこには絵が描かれている
当面、コメが下がれば良いのだ
流通改革と言っているが、JAの巨大な力が失われるほどの改革が短期間でできようはずもない
森山幹事長は、小泉さんの打ち出す随意契約に目をつぶり、備蓄米を安く放出させることに合意するが、参院選が終わりこの秋か冬か、いずれは元に戻すことになる
石破総理はどこかで内閣改造し、小泉さんをそれこと森山幹事長の後釜にすえるかもしれない
あるいは、小泉さんに禅譲するかもしれない
小泉さんはコメを下げた手柄を持って総裁選に挑むというわけだ
このくらいの絵を描くのは彼らにとってわけもないだろう
またも素直な国民は騙される
将棋の免状をいただいた
会長が羽生さん、名人竜王が藤井聡太という超のつくゴールデンコンビの直筆が並ぶ今の将棋連盟発行の免状をついにいただいた
僕は長年の将棋ファンである
ただ指すよりも将棋界、いや将棋に一生を捧げるプロ棋士が好きなのだ
もちろん独学ながら勉強はそれなりにしてきた
確か毎日新聞発行の将棋新聞も取っていた(今はない)し、NHK将棋番組は欠かさない
戦後の木村義雄、大山康晴、中原誠(もちろん升田幸三も大好きだが)といった大名人の系譜に谷川が名を連ねた時、僕は千駄ヶ谷の将棋会館に直筆扇子を買いに行った
もう三十年以上前の話である
あの頃で17,000円もしたのだが後悔はしなかった
なぜなら谷川ほどの天才は現れないと信じ込んでいたからである
ところが羽生善治が出てしまう
僕にとっては驚天動地だった
しかも7冠同時制覇という偉業まで達成した
言葉もない
ある意味、大谷翔平が三冠王どころか投手としての最多勝利、最高勝率、最優秀防御率をも合わせ、軒並み取るようなものだろう(言い過ぎか)
ところがところがである
藤井聡太が出現した
彼はこともなげに?八冠を全て取ったのだ
なので中原以降の大名人の系譜として、谷川、羽生、藤井となった
そのうちの羽生と藤井の二人が、直筆で免状が発行されるというので将棋ファンは一気に免状取得に走ったのである
もちろん将棋会所に行ってないので僕は将棋世界という雑誌の応募をコツコツとこなし、三段を取った
申し込んでからほぼ四ヶ月、待ちに待った免状が来た
同時に額縁も申し込んだ
免状に55,000円、額縁が30,000円、しめて85,000円という大出費だが、世間では推しにとんでもないお金をかける人がいるそうなので、比べたら大したことはないのだろう
スピードを考えて確実な三段を取りにいった
というのも万一のことがあって羽生さんが会長を降りたり、藤井がタイトルを失ったりすれば連名直筆免状は幻となりかねないのだ
まあまあとにもかくにも免状は手に入れた
あとは段位だ
四段を取りに行こうかどうかと思案中である
指笛鳴らせますか
若い頃から指笛を鳴らしてみたかった
沖縄出身でもないのにある友人が上手に鳴らしていたからだ
何度かチャレンジしたことはあるけど、本気でやろうと思ったことはない
ところがふと思い出し、ネットでやり方を学んで、、、といっても結構シンプルなんだけど
とにかく少しずつでも毎日続けてみようと思い立った
やり方としては親指と人差し指で丸を作って咥えるやつ
あの丸を舌を上顎に当てた状態で舌の裏側に押し当てる
最初のうちはもちろん空気ばかりが漏れるし、唾液が流れてしょうがない
やっぱり無理かなあなどと思い始めて一週間くらいたった頃だろうか
ほんの少し音らしきものがして、おっ、と思う
そのうちに舌をずらしたり指をずらしたり、空気の吐き出す力を調節したりしているうちに、鳴り出した
キレイなピューではないもののまあまあ鳴っている部類
嬉しくなって何度もやっていると、うるさいよと家内
今は少し探りながらだけど、キレイな音で鳴らせるようになったのだ
コツがあって、力任せの呼吸はまず無理
小さく吐き出しつつ鳴る時点を見極めてから強く吹く
するとなぜか舌の形と指が上手くリンクしてその隙間から高い音が響く
なんでもそうだけど努力って実を結ぶもんだ
次は将棋の話
65歳の地図
先日、六十五歳になりました。なんだか一区切りついた気分です。
仕事をやめ、時間的自由を手に入れてから五年、何が変わっただろうと思いました。
もちろん生活は様変わりです。(カミさんの目さえ気にしなければ)何をするか、何をしないかを自分で決められますし、朝起きて何もする気がなければ、一日中ぼうっとしていてもいいわけですから、ある意味こんな贅沢はありません。
物心ついた時から、当たり前のように学校に通い、ほんの少し勉強し、受験し、たまには友人と遊び、どうにか就職し、結婚し、子供が生まれ、転勤、仕事、転勤、仕事、転勤、仕事……で人生を過ごしてきました。
もちろん後悔しているのではありません。
ただ、自由になった今と、何が違うだろうと思うのです。
僕が気づいたのは、時間を捉える概念の変化でした。
ある小話を思い出します。
先住民族が暮らす村にやってきた現代人が、家の前で日がな一日座って景色を眺めている高齢男性に、少しは働いたらどうかね? と聞いたそうです。
「働いてどうするんだい?」
「暮らしが楽になるよ」
「楽になったらどうなるんだい?」
「のんびりできるよ」
「もうのんびりしてるよ」
僕のような現代人は、未来や過去への思考で時間を捉えている一方、先住民族は、たった今の時間を生きている?
幼い頃、僕は絵を描くのが好きで、描いているそのとき、時間は今にあったのをありありと記憶しています。
時間が経つのを忘れるというやつで、そのとき思考はなく僕の心は自由でした。
思考をよくよく客観的に見つめてみると、必ず未来か過去にあることがわかります。
何をしようか、何を食べようか、こうなったらいいな、あるいは、あれは失敗だったな、もっとこうすればよかったな、などなど。
インド人は、人生を学生期、家住期、林住期、遊行期と四つの期間に分けるそうです。
私の場合、家住期を終えて林住期に入ったところでしょうか。
様々な責任を果たすべき家住期を終えた林住期とは、世俗を離れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期を指します。
時間という概念の変化は、世俗に生きてきた忙しない時間、常に思考せよと縛られてきた人生から、思考の必要性のない人生、つまりは今という時間の大切さに気づく人生へと変わっていく必然なのかもしれません。
最後の遊行期とは、なにものにも囚われず、遊ぶように過ごして人生の最後を迎える期間とされています。
それがいつのことやら想像もつきませんが、少なくとも、未来や過去の思考で今を無駄にすることだけはやめておこうと思う、今日この頃です。
何かを成し遂げる
会社を退職して5年
つまりこのブログを始めて5年になる
これといって特に振り返ることもないなと思った
仕事をしているときは、いつも目標があった
何かを成し遂げる自分だった
それが今はない
もちろん瞑想を通じて得たいものはある
ただそれは長い長いスパンの話であって今月とか今年とかといった類いではない
男が仕事を辞めると一気に老いたようになる意味はここにあるのかなと今更ながら実感させられた
例えばカミさんとの対比でいえば、家事労働はいまだに現役である
毎日はなにも変わっていない
その日その日を生きている
時間は今にある
ところが僕の場合、常に時間は先にあった
何かがあってそのために生きてきたような気がする
別に悪いことじゃない
ただそれがルーティン化していたから、成し遂げるべき何かが失われると、途端に生きる意味さえも見失うのではないか
僕は仕事に人生を懸けてきたというほどではないので症状は軽かっただけかもしれない
仕事をするというのは、自分に与えられた何かがあるということであって、もちろん報酬を得る目的もあるが、それよりは成し遂げるべき何かの方が大きいような気がする
そこに自分の生きる意味を見出しているわけだ
僕の場合は仕事をするつもりがないので自分で見つけなければならない
そこで考えてみた
5年を一つのスパンにしようと
僕の今現在最も成し遂げたいことは小説を出版することにある
簡単ではないが不可能でもないと思ってる
それをまずは一つのメルクマールにして、あと5年
小説は続けるにしても、次の5年はどうするかな
元々絵を描くのが好きだったし、粘度造形なんかも好きだったから、そっちをやってみてもいい
木彫りなんかも悪くない
自分の作品をネット販売するなんていうのも夢がある
ネットといえば、ユーチューブもいいかも
知り合いの女性が、神社好きで各地訪れたところをユーチューブにアップしてたな
でもこのブログもそうだけど、何かを成し遂げるとはならないからやっぱりちょっと違うような気もする
僕の場合は創造がメインだな
例えば音楽でいえば楽器を演奏するより、曲を作り出したい方なのだ
今は作曲も簡単にできるらしいからそれも悪くないかも
小説と違って絵や造形や音楽は、タイパがいいわけで、誰にも広く知ってもらえる機会があるのもいい
やはり知り合いの女性が版画家で、素晴らしい作品を作っていて、しかも個展なんかも開いているのでいいなと思う
そうだなそうしよう
小説の次の10年は、何かで個展を成し遂げよう