めいそうえっせい

色々と心のままに

ミツバチのささやき

瞳を閉じてに続いて、ビクトルエリス監督のデビュー作である「ミツバチのささやき」をアマゾンで見た

 

通常画質版でも2000円したので高いなあとは思ったがどうしても見てみたかった

 

1940年頃のスペイン内戦後あたりの時代を描いているとのこと

 

内戦で荒廃した村の家族

 

ミツバチの養蜂に取り組む旦那と、誰かわからない人に手紙を出す妻、そして二人の幼い娘

 

夫はいつも自分の書斎でミツバチに関する手記を書きながら寝入ってしまう

 

妻とは上手く行っていないのかと思わせる

 

後で知ったが妻は後妻とのことで、これは推測だが、内戦によって離れ離れになって生死もわからない元夫に宛てて手紙を認めていたのかもしれない

 

夫は妻より明らかに高齢のようだが、村の資産家らしい

 

ここから下の娘のアナの視点で物語が進んでいく

 

現代は「スペイン国の魂」

 

軍事政権への皮肉や批評が映像によって暗喩されている

 

アナは声を上げられない民衆の心の叫びを代弁しているようにも受け取れる

 

直截的な表現を避けて描く手法が見事である

 

エリセ監督の長編映画は三作だそうで、瞳を閉じては80歳になっての最新作であるが、そのテーマは「アイデンティティと記憶」だそうである

 

物事の始まりと終わりを意味する、青年と老人の二つの顔を前後に持つヤヌスの像がそれを象徴する

 

記憶を失くした俳優にアイデンティティはない

 

つまり自分というものがどこにもない

 

逆に言えば、人のアイデンティティは記憶によって成立している

 

人は生まれ、経験し、成長する過程で自我というアイデンティティを獲得するが、例えば記憶を失くしたり、高度の認知症になればそれを失う

 

ではその時、その人は一体どういう存在なのか

 

高齢になったエリセ監督が突きつける、あるいは見るものに問うているのは、人間の存在についての深い考察ではないだろうか

 

アイデンティティを失った人は生きている「価値」も失うのか

 

それとも???

 

宇宙の果てに何があるのかという疑問同様、人にとっての究極の問いではないだろうか