もう何十年も前の小学生の頃に一度行ったがほとんど何も覚えていない
微かな記憶にあるのはとんでもない田舎だったことくらい
高齢の母が死ぬ前に一度行きたいと言うので連れていった
滝廉太郎の荒城の月で有名な竹田は、人口一万五千人ほどの小さな町だった
福岡空港からレンタカーで向かい、二時間半ほど
宿は久住高原で取った
親戚の人々が宿に迎えに来てくれて竹田の母の実家に行った
こちらから車で行きますと言うのを何度も先方は断り、迎えに行くと言って聞かなかった意味がわかった
道は細く曲がりくねり相当な運転技術がないと危ないのだった
田んぼや畑の間を登っていくのだが、何度も道から落ちるのではないかとヒヤヒヤした
母の実家はやはり全く記憶がない
母の母方の姪やその夫たちが出迎えてくれた
家に上がり、仏壇に手を合わせた
お茶をご馳走になり、色々と昔話に花が咲く
僕はそれを聞いたり彼らの表情を見ていて涙が出そうになった
人としての温かみと純朴さがそこにあった
そんな人たちに会ったのはいつぶりか
二十年ほど前、北海道に暮らしていた頃以来かもしれない
都会に暮らしているとそのような人に会えることはまずない
本当はたくさんいるのだろうが、みな仮面の下に隠してしまっている
素で生きていくことが難しく、ついつい仮面、今で言えばマスクかもしれないがそんなものをつけていた方が楽になる
その後、竹田茶寮へと移動してそこでご馳走になった
僕は竹田茶寮をたけださりょうと誤読していた
これはちくでんと読む
田能村竹田(たのむらちくでん)という著名な画家がいたことも知らなかった
そこで僕は機嫌よく飲んだ
美味しい酒だった
竹田に住めたらどんなに素晴らしいだろうと思った