八月初旬の株価大暴落のときは焦った
僕の投資スタイルは、優良+高配当株が主体になっていたのだが、一部に、高リスクな投資信託を保有していたからである
いつか売らねばと思っていながら、まだ上がるかもという密やかな期待(欲)があって、売りそびれていたものだ
案の定、大きく下げた
株式市場というものが、上下を繰り返すと散々頭で知りながら同じ過ちを繰り返したことに、僕は落ち込んだ
あれ?
よくよく考えてみれば落ち込む必要なんかないことに気づいた
いずれはまた上がるだろうしと
じゃあなんでこんな気分になるのだろう
もちろん損をした(売ってないからしていないのに)と思っているからである
巷でも新NISAが良いとか悪いとか、初心者は株に投資すべきじゃないとか、若いうちから金融リテラシーを身につけて、老後に備えるべきとか、色々とかまびすしいが、もっとも大切な視点が抜け落ちているように思っていた
要するに、常に損得の視点で見ているのである(恥ずかしながら僕も含めて)
特に日本の場合、経済成長が停滞し、デフレの期間が長かったので、余計に株式市場に対する疑念が根強くあると思う
バブル絶頂期の時の、39000円近い高値を更新したといっても、まだ自分の国が信じられず、いずれはまた下がると思い込んでいる
あの八月の暴落はそのような先行きへの不安が溜まっていたのが原因ではなかろうか
もちろん下げを主導した外国人投資家とか機関投資家がいたにせよ、慌てた個人投資家も、少しでも損失を減らさんとばかり、売りに走ったのではなかろうか
トイレットペーパーや米がなくなると聞けば、我先にと買いに走る感覚と同じだろう
投資に関する本を読んだり、記事を見たりするなかで、僕はとても大切なことではなかろうかと思い当たった
詰まるところ、それらの内容は、全て損得の話である
投資は儲けるもの
でもよくよく考えてみれば、株というものは売る人と買う人で成り立っている
安値で買って高値で売り、誰かが儲ければ、その分、誰かがその高値で買っているわけで、その先、下がればその人は損をすることになる
自分だけが上手く立ち回って儲けようとする限り、ギャンブルに近いマネーゲームになるのは自明の理ではないか
損をすれば今度は取り返そう、儲かればもっと儲けようと
ちょっと視点を変えれば違うものが見えてくる
株式市場を市場参加する人々による共済保険、昔でいうところの命講?と考えたらどうかと思う
つまりは、これから成長しそうな分野や業種、会社に投資をすることで、株式市場全体を活性化させるという考え方である
ここには売り買いして儲けるというキャピタルゲイン的発想はほとんどない(特に短期的には)
市場全体が活性化して徐々に上がっていくという信頼があれば、慌てて売ったりせずともよく、長い目で資産が増加するのを眺められる
逆に言えば、短期で利潤を得ようとする者は、本来市場に参加すべきではないが、そのような人たちが、儲けて売りながら、もっと上がって悔しい思いをするようになればまた変わるに違いない
先述したように、売ってもいないのに損をしたと思い込むのは、市場への信頼がないからに他ならない
政府の提唱する「貯蓄から投資へ」という掛け声の裏に、目先の儲けや損失ではなく、市場参加する全員で、日本市場を信頼あるものにしようという発想があれば良いと思うが、そのような発信は今のところ見られないのが残念である
アメリカ株式市場がリーマンショックなど大暴落をしながら短期で戻し、さらには右肩上がりで拡大を続けている背景には、市場への信頼感が大きいと思う
もちろん、そろそろまた下がる頃とか、ウオーレンバフェットのように、アメリカ市場は投資するには高すぎると発言し、実際に多くの株を売り、暴落に備えて現金化している投資家もいる
ただ、これも下がった時を狙って、また上がった時の利鞘を稼ごうとしているからであって、彼はそれを生業としているからであろう
個人のみならず経営している投資会社の信頼性に関係してくるから
しかし個人投資家はそんなことを考える必要はないと僕は思う
株式市場は信頼で成立すべきものであって、皆がお金を持ち寄って大きく育成すべきものというのが僕の考える投資の本質である