めいそうえっせい

色々と心のままに

瞑想その6

 瞑想を続けていくその先に何があるのか

 

瞑想は元々インドの言葉でディヤーナというらしい

禅の語源との説もある

 

お釈迦様はインドの王子で若くして出家し苦行を重ねた果てに

菩提樹のほとりで瞑想をし悟りを開いたと伝えられている

エスキリストも瞑想をしていたとも

 

知る限り様々な精神的教えや宗教的経典と呼ばれるものの中心概念

に共通しているものがある

 

「内側に真理がある」

 

この相対的な世の中はよくよく考えてみれば無常に満ちている

確実なものは何一つとしてない

全ては変化する

 

私は60歳という還暦を迎えたがまさか自分が還暦を迎えることに

なるなんて想像もしなかった

今ある自分は変わらないと思い込んでいる

しかし

私はいずれ70歳になり80歳になり死んでいく

紛れもない事実だ

 

私を含めほとんどの人は変化を(特に悪いと思える)受け入れられない

しかし「良い」変化も「悪い」変化も起こるのだ

このような変化に翻弄され人は心の安寧を求めることになる

絶対のないこの世の中では頼るものは何もない

 

お釈迦様もイエスキリストもその他の多くの精神的指導者も突き詰めれば

同じこと=つまり自分の内側に入りなさい、あなたの求めるものは内側にある

と言っている

 

聖書には「天の王国はあなたの内側にある」と明確に記されている

 

これは一体何を意味しているのだろうか