めいそうえっせい

色々と心のままに

寂しくない定年 玉川徹氏

朝日テレビコメンテーターの玉川徹さんが、定年後も同じように働けて自分は幸せ者だと言ったそうで、その発言が話題になっているらしい

 

少し不思議に思うのは、朝日テレビならもちろん65歳、下手すれば70歳まで社員でいられる選択肢はあるように思うのだが、彼はその選択をしなかったということだろうか

 

僕はもう3年前に定年退職したわけだが、確かにヒマを持て余したり、付き合う人間が少なくなったり、現役時代の話題から遠ざかることに一抹の寂しさを感じたこともあったし、いまだに感じることもある

 

なので玉川氏の言いたいこともよく分かる

 

分かるけど、いつかその日は来るから先輩としてあえて一言

 

一日でも現役を長く続けていたいと思う人からすれば素晴らしいことなのだろうけれども、実は僕はこう考えている

 

全ては相対的な価値観なんだよねと

 

幸福論的なことになるけれども、他と比べての価値観は、どれだけ恵まれていると思えてもやはり限りはないから

 

現役を続けようが、続けまいが、求められようが、求められまいが、僕も含めて多くの人が陥りやすいのは、ずっと自分ではない「誰かの」価値観、相対的な価値観で長い人生を生きてきたことによる錯覚である

 

そう、錯覚するんじゃないかな

 

生命がいつまでも続くかのように、若さがいつまでも続くかのように

 

もちろん誰もが続いて欲しいと願っている

 

でも人は人生のどこかでそれらが有限であることを知る

 

ちょっと極端な例を考えてみよう

 

例えば玉川氏に来週、進行がんが判明したとする

 

その刹那、彼の頭から仕事の割合は限りなく小さなものになるだろう

 

とても厳しい治療の末、生き延びて、あれほど何も食べたくなく、食べても美味しくなかった食事が美味しく食べられた時、心から彼はこう考える

 

生きてて良かったと

 

朝、目覚めて、ご飯が美味しく食べられる

 

暖かくして眠られる布団と食べられるご飯がそこにある

 

自分は生きている、そして生かされていることに気づく

 

仕事を続けない方が良いなどと言っているわけではないよ

 

僕らはあまりにも「誰かの」価値観に縛られてきたから、いずれはそこから自分の力で這い出て自分なりのモノサシで生きていかなきゃならないし、僕はそれができる限り早い方がいいのではないかなと思っているだけである

 

そうじゃないと「しがみつく」ことになるだろうし、後悔とか過去とかばかりで、なかなか前を向くことが難しくなるんじゃなかろうか

 

日本の政治家の多くがそのような生き方を選択しているように見える

 

彼らは「誰かの」価値観に縛られ、権力や私欲にしがみついている

 

だからいつまで経っても手放せない

 

その最後は哀れだ

 

生き方はふた通りしかないと僕は思う

 

感謝して生きる人生か、そうじゃない人生か

 

僕は感謝して生きられるなら後はどうでもいいと思う