めいそうえっせい

色々と心のままに

今年も終わるし死について考えてみる

2022年も終わる

 

僕が会社を定年退職して来年3月で丸3年を迎える

 

コロナコロナコロナだったな

 

それに今年はロシアのウクライナ侵攻か

 

ろくでもないニュースだ

 

それでもつつがなく健康で暮らせたことに感謝すべきだろうな

 

健康というものは無くして初めてそのありがたみが分かるもの

 

50歳になる直前で大腸癌と診断された時は相当動揺したもんな

 

人間いつかは死ぬと分かっていてもやはりその現実を突きつけられると脆い

 

やっぱり死ぬのは怖い

 

まず肉体的な苦痛を想像するし、その先にはこの世の何ものとも誰とも離れ離れになる寂寥感がある

 

苦しみと孤独という肉体的精神的な苦痛を想像してしまう

 

眠って意識を失うことが平気なのは起きることが前提だし

 

今晩眠ると起きませんよと言われて平気なわけもないし

 

でも前にも書いたけど結局人って慣れると思うんだよね

 

受け入れるって言ったほうが格好良いけど要は慣れなんだよね

 

この相対世界は森羅万象全て変化し続けているのは間違いなくて、変わらないと思っている自分自身も同じ

 

すでに僕なんか、あっという間に還暦過ぎてもうすぐ3年だもん

 

50くらいまでは、現役感バリバリで、なんでもまだ出来ると思ってた

 

ゴルフだってボールも飛んでたし、仕事で全国を飛び回っていても平気だった

 

それがたかだか10年ちょっとでこれだもん

 

もう自分が爺さんの仲間入りしてるって実感するもん

 

体のあちこちが痛くなったり、指先が痺れたり、少し走ると息切れするし、何より何でも出来るって気持ちが出来ないかもに変わってしまったもん

 

否が応でも変化してるって証拠だよね

 

でも慣れるんだよね

 

体も痛い、指は痺れる、走ると息切れする、ゴルフのボールは飛ばない、何が自分に出来るんだろうと思ってしまう

 

そんな自分に慣れると、今度は人間どうするか

 

ここが人間の凄いところだと思うんだけど、それでもそこから何かを見つけていくんだよね

 

もちろん抗うこともあるだろうけど

 

体のケアをしたり、鍛えたり、練習したり、技術を磨いたり、あるいは新しい楽しみを見つけたり

 

精神的に落ち込んでもう自分には何もない、全て無理ですってなる人もいるだろうけど

多くの人はそういう段階を経ても次に行くんだよね

 

大したもんだと思うよ

 

僕は輪廻転生を信じている方なんだけど、もしそれが正しいとするなら、僕たち人間はとんでもない位、生死を繰り返して今に至っているわけで、ということは、驚くべき結論になる

 

僕たちは生にも死にも慣れている

 

死ぬことに慣れているわけだ

 

ただ忘れてるだけでね

 

きっと死んだら思い出すような気がする

 

ああ、確かにこうだったってね

 

悟りを開いた人たちはそれを思い出したんだと思う

 

生きているうちに

 

だから死ぬのを恐れないし孤独も恐れないんじゃないかな

 

まあ僕が瞑想を続けている理由もそんなところにもあるんだけど

 

つまり死ぬのを恐れず孤独も恐れなければ全てを最高に楽しめるわけで、それこそが天国なんじゃないかなと思うんだよね

 

瞑想して向こう側を垣間見る瞬間、僕には全てがなくて全てがある

 

正も死も、不安も、孤独も、何もなくて、だけど全てがある

 

欠けているものは何もない

 

◯なんだよね

 

そんな世界に来年はもうちょっと近づけたらいいな