めいそうえっせい

色々と心のままに

喪失と慣れについて

随分と髪の毛が抜けてしまった

まだこの数週間のことである

若い頃、そうだな、30過ぎくらいだろうか

やっぱり髪の毛で悩んだことを思い出す

いわゆるハゲの恐怖である

今思えば、髪の毛というやつも生きていて、僕たちが太ったり痩せたりするようにあいつらも変化すると知ったのだが、まあ、太ることはなくて基本はずっと長い時間をかけて痩せ続けていくのだ

これは僕の完全なる私見であるが、髪の毛っていうやつは、生え変わるたんびに少しずつ細くなる

毛根が死んで生えなくなると完全にハゲになる

年取って細くなると、髪の毛は互いに支えることがなくなり、寝てくる

一人で立っていられるほど若くないから

もちろん例外もあって老境になってもフサフサしている人もいる

これは人の持つそれぞれの違いだけであって、ボケる人もいればボケない人もいたり

80歳で5キロ歩ける人もいれば、ほとんど歩けない人もいるのと同じだろう

 

今回の抜け毛に僕はショックを受けた

受けてしまった

ハゲる恐怖を感じた

手触りで随分減ったなと感じる

食べ物とか運動不足のせいかとか考えたりもした

数日悩んだ

何に悩んでいるのか考えてみた

要するに、他の人、特に家族や知人たちからハゲたと見られたくないのだ

僕はずっとハゲてもいいと思っていたにも関わらずいざそうなってみると狼狽えた

さらにその先を考えた

ハゲたと見られたくないのはなぜか

見かけ上の自分のアイデンティティが崩れるからだ

自分とはこういうものであると自分が思い込んでいた自分があって、それが変わり、自分自身がそれを認めるのが辛いのだ

自分は自分をこう見ていて、他人も自分をこう見ていると思っている自分が変化することによって、自分も他人も自分を違ったものとして見ることができないと気づいた

 

さてそこで僕はどうしたか

最初は具体的に医者に行こうかとか考えもした

AGA治療とか宣伝でやっているし

抜け毛を減らそうとか、髪の毛を太くする方法とか、もっと極端には増毛とか

でもどっちみち対症療法だろうし、いずれは自然の摂理に従う他ないことはよく分かっている

抗ったって無駄なのだ

テレビなどであきらかに整形しましたという顔をされている女優さんとかを見ると、本人はそれで満足なのかもしれないが僕には痛々しく思える

本人が満足ならそれで良い、良いが僕はそんな風に見られるのは嫌だ

 

僕はふと思い出した

二週間ルールを

これはずっと前に書いたことなのだが、僕が長い年月で得た経験上の教訓というか、知識というか、今やルールとしているわけだけれども、どんな変化も二週間で慣れるというものである

僕は現役の頃、転勤を10回したし、引っ越しにあたっては15回していて、新たな環境に適応するのに苦労したが、そうだな、いつ頃かな、多分、40歳から45歳くらいだったと思うけれど、ああ、そうか、二週間で慣れるんだと気づいたのだ

最初はそんなことは全く思えないから、とんでもなく辛いなか、本気で会社を辞めようとか逃げ出そうとか、時には医者にかかって睡眠薬抗不安剤をもらったりもした

でもそんな経験を繰り返していると、人間というものは、慣れる生き物だと気づく

交通事故で下半身が麻痺したり、腕や足を失ったり、あるいは何かの病気で目や耳が聞こえなくなったり、もちろん僕たちみたいに老化で、何かの機能が衰えていくことは、往々にしてある

それでも人間は再び立ち上がり生きていく

もちろん根源的な強さや生への希望もあるだろう

でもそれを支えるのは僕は「慣れ」だと思う

手が使えなければ足や口を使う

そういうことに慣れていく

もちろんそんな大変なことに二週間ルールは適応できないだろう

何ヶ月も何年もかかるだろう

それでも少しずつ慣れていく

そしてそんな自分を受け入れていくのだ

 

たかが髪の毛、されど髪の毛

抜け落ちてしまった髪の毛には今までありがとうと言い、今まだ残っている髪の毛には、頑張ってくれてありがとうと僕は言いたい