めいそうえっせい

色々と心のままに

孤独

今、孤独に悩む若者が増えているという

 

コロナのせいばかりではないともいう

 

僕たち定年退職組の男たちは孤独を感じやすい

 

温かい家庭に恵まれた人たちはまだマシだろうが、会社を離れると社会から切り離されたように感じるところもあって、孤独感はどうしても募る

 

もちろんある程度は慣れるのだが

 

日本人には特に多いらしい

 

日本人は恥の文化、特に男には武士道に象徴される潔さとか責任感とか、そんな物語がしっかり染み付いていて、自分の弱みを他人に見せることはよしとしない

 

そして社会や家庭の側でも、それが当たり前のようになっていて、男なんだからとか、自分でなんとかするべきだという感覚が強く、なんとか力になってあげようなどという考えはほとんどないのが現実だろう

 

それでも分かっている人は、そのような男の辛さ、孤独を、慮って気遣うことができる

 

これを惻隠の情と呼ぶ

 

これは人のみならず会社や社会にも当てはまる

 

分かっていない人や会社は社会は、自分のことや自分の利益しか考えない

 

自分以外の人がどうなろうと知ったこっちゃないわけだ

 

でも長らくそんな社会で生きてきた僕にもそういうところがある

 

やっぱり自分で頑張れ

 

自分の責任じゃないかと思うことが多い

 

特に若い人には

 

自分が経験してきてないからだろうな

 

で、自分の若い頃をちょっと振り返ってみた

 

するといかに周囲に恵まれてきたかがよく分かった

 

今、自分がここにいて少なくとも不自由のない生活が送れているのは、先祖、親兄弟、友人他様々な人たちのお陰だ

 

例えば、「恋」で書いたが、高校二年生で初めての恋を経験し、自分ですっ転んで手酷い失恋をしたのだが、この経験は僕を根本的に変えた

 

なぜ変わったかは自分でも分からないが、それまでの僕は、勉強なるものをほとんど自発的にはしてこなかった

 

それが、理由もなく勉強に目覚めた

 

全く今もって分からない

 

でもあれがなかったら多分、今も僕はないと確信できる

 

つまり、それは彼女との出会いと別れがもたらした奇跡だった

 

なんだか運命論みたいに聞こえるかもしれないがそれは違う

 

僕はそれを自分の奥深いところで選び取ったのだと思うから

 

僕は彼女に恋焦がれ、自分ではあり得ないと思っていた告白をし、そして別れた

 

そして信じられないほど勉強をし、大学に行き、会社に入り、定年退職して今、ここにいる

 

全ては必然だった

 

続く