めいそうえっせい

色々と心のままに

じいさんの帽子

もう僕もいい歳にはなったが、帽子を被ろうとは思わない

 

帽子、いわゆるキャップはゴルフくらいかな

 

あと、ちょっとキザっぽい麦わら帽子的な広くツバのついたのも持っていて夏には数回被ったりもする

 

ところが最近気づいたのは、結構、キャップを日常的に被っているじいさんたちが多いことだ

 

そこで考えてみた

 

僕たちはいくつからキャップを被るのだろうかと

 

そもそも彼らがキャップを被る理由はなんだろうか

 

いくつか想定できるのは

 

髪が少なくなった、急な雨にも対応できる、直射日光がつらい・・・

 

などあるが、僕は、もしかすると人の目を避けたいのじゃないかと思う

 

歳を取ってくると、年老いた自分の姿が嫌になってくる

 

先日、在職中の後輩に久しぶりに電話したら、僕の声がおじいさんみたいらしく、しばらくの間、気づかれなかった

 

結構ショックだったな

 

自分が思うより人から見たら歳を取って見えることもある

 

いつまでも若くはないのだ、と頭では思っていても、どこかでまだまだとそれを認めようとしない自分もいたりする

 

ある段階できっと自覚するのじゃないだろうか

 

その時、周囲の目が気になり、ついつい帽子が手放せなくなる

 

高齢者は忘れ去られた存在

 

何かで読んだことがある

 

確かに定年退職して自転車で平日動き回るとそれが見えてくる

 

自分が思っていたよりずっと多くの高齢者が街にいることに驚くのだ

 

俯いて散歩していたり、立ち止まってキョロキョロしていたり、のんびり自転車で走っていたり、、、

 

今まで全く気づかなかった

 

何の気なしに通り過ぎていた

 

彼ら彼女らは僕にとって存在していなかった

 

でもいずれは僕もそうなる

 

それはいつだろう

 

5年後か10年後か

 

その時僕は帽子を被るのだろうか