僕の知る限り、同期で会社に残っているものがまだ数人、再就職しているものが多数いる
聞いている限り、会社に残って65歳までを選択した方が給料やその他福利厚生なども含めて良さそうだ
その中で、仕事に生きがいを見出していると思えるのはいるだろうか
思いつかない
三つほど上のある先輩は、地元の中国地方に戻って、農業を始めた
Facebookで以前、交流があったが、とても楽しくイキイキとしていた
あの姿が理想的なように思える
定年後は、少なくとも差し当たってお金の不安がないという前提ではあるが、まず自分のやりたいことを真剣に考えてみる
何かで読んだが幼少期に好きだったことは意外に年齢を重ねてからも好きだそうだ
僕なんかは小さい頃、ずっと絵ばかり描いていた
絵を描くのが好きだったし、不思議とお寺とか静かなところが好きだった
ここでなんとなく大切かなと思えるのは、やれそうなことではなくて、あくまでやりたいことだと思うな
今更なんて思わなくていいし、周りから何か言われたくないなんてことを考える必要もない
だって自由なんだから
今の僕は不思議なほど物欲もないし、海外旅行に行きたいとか、美味しいものを食べたいとかも一切ない
意欲の低下が老後問題としてあるそうなのでもしかしたらと思わないでもないのだが、小説のテーマは書きたいことがいくつもあるし、もうちょっと瞑想にも生活の重点を置かなきゃと思っているし、この歳でと言われそうだが、はまっているゲームもある
それに、小説やエッセイの仲間も増えたし、昼飲みで集まって、カンカンガクガクとお互いの作品を褒め殺し?し合うのも最高に面白い
思わず時間の経過を忘れる
翌日、あんなこと言わなきゃ良かったと言うことも多いが
もし、みんなと同じように仕事をしていたらこんな愉しみは全く見つけられなかっただろうと思える
もちろん違った意味での刺激はあっただろうけど
全ての選択は自由だ
僕は今こう思っている
仕事をする選択もしない選択もどちらでもいい
ただ、他人とか世間がどうこうではなく、自分の選択で決めることが大切ではなかろうかと
僕だって大いに暇を持て余すし、そんな時は、少し寂しい気持ちになったりもする
特に僕はどちらかと言えば何か興味のあることをやっていないとダメなタイプだから
でも思うんだ
それにも慣れる
そうしてまた何かを見つけていく
小説クラスで友人になった78歳の男性がいる
彼は三年前に最愛の奥さんを亡くして今は一人暮らしをしている
それが小説を書くきっかけだそうだ
先日お会いしたら、クラスの後に、運転して新潟まで行き、フェリーで小樽まで行くと言う
4、5時間は最低かかるだろう
まさかお一人ですかと聞くと、いえ、あの小説に書いた人ですとおっしゃる
お互いに連れ添いを亡くした高齢男女の物語だ
相手の女性も同じような年齢だが、自立して仕事をしているので、終わり次第、車で迎えに行き、その足で新潟に向かうらしい
僕は彼女の言うままに運転するだけなんで楽なもんですと笑う
素晴らしい話だ
僕は感動した
こんな人生の先輩に巡り会えたことにも感謝した
僕は小説を書き続けるだろう
そして新たな出会いも生まれるだろう
こんなワクワクすることは今までなかった
少なくとも僕はそのような選択ができて良かったと思う