めいそうえっせい

色々と心のままに

定年と仕事

あるネット記事を見て改めて定年と仕事について思いを巡らせてみた

 

そして親しい友人とも意見交換をしてみた

 

あえて老後のお金の問題は傍に置いておきたいと思う

 

なぜならお金の心配が大きければどうあろうと働かなければならないと思うからだ

 

僕だってそう

 

60歳で定年退職したが、幸い、まだローンはあるものの家があって、子供たちは自立し、特に家族に健康状態などに問題があるわけでもなく、どうしてもお金のために働かなければならない環境にはないが、これが、まだ子供が学生だとか、親の介護に費用がかかるとか、切羽詰まった状況なら、何も迷うことなく再就職しただろう

 

僕の周りはどうかと言えば、実際にそれほどお金に困るとは思えない人たちも、再就職をしているのがほとんどであって、その理由が、65歳からの年金まではと言うことが一番ではあるけれども、実際には、暇を持て余すからではないだろうか

 

確かに仕事を辞めてみた僕もそう思う

 

言うなれば毎日が日曜日だ

 

よほどの何かがない限り時間があり余るし、それまでの仕事生活で忙しくしていたギャップもあってポツンと自分だけが取り残されたような感覚に陥る

 

これが例えばプロスポーツ選手のように40歳になる前に現役引退となれば、否応なく違う仕事を探して働かざるを得ないので、なんら迷うこともないのだろうが、いかんせん、僕らのような平々凡々たるサラリーマンは、60歳が節目になっているため、どうしても個人の考えや環境によって大きく左右されるのだ

 

昔なら60歳までよく頑張りましたねとなるのかもしれないが、昨今は全く違っていて、下手をすれば70歳までは大丈夫でしょうみたいな世間の空気感がある

 

これはある意味凄いことでもあり恐ろしいことでもある

 

つまり僕みたいな60歳で仕事を辞めて、日がな一日、瞑想や趣味の創作や読書やたまの昼飲みをしているような人間を、遊び呆けていると見做される可能性が高まっているわけだ

 

現に、カミさんはそう思っている節があって、何かの折には、必ずと言っていいほど、私は働いているとおっしゃる

 

で、僕はこう思っている

 

三十八年間と言うもの、ずっと仕事をしてきたし、何度も転勤もした

 

そしてその仕事が好きだったかと言われれば、決してそうでもない

 

それでも僕は一応のゴールとされるところまではやり切った

 

その意味で僕は僕を褒めてやりたいし、もう十分だという思いがあって、同じ仕事で次のゴールを目指すつもりはない

 

つまり、お金のためではなく、自分の目指す次のゴールが自分のやりたいことの中で、仕事になれば素晴らしいなとは思う

 

ではそのような仕事を積極的に僕は探したか、見つけようと努力したか

 

答えは否だ

 

なぜだろう

 

一つには少しはゆっくりしたかったからだろうな

 

一年くらいは、のんびりして、温泉にでも行って骨休めしたいと思っていたし、何かやりたいことを見つける時間にしたいと思っていた

 

もう一つは瞑想にある

 

仕事に囚われない瞑想中心の生活をしてみたいとずっと思っていたのだ

 

そして幸か不幸か、僕はやりたいことを見つけてしまった

 

最初は脚本からスタートして、小説へと移っていった

 

小説を書く魅力を説明するのは難しいが、自分の中にあるものを表現する楽しさと言ったらいいだろうか

 

ぼんやりしたものが少しずつ形になっていく

 

実は瞑想と相通ずるところもある

 

瞑想とは、レクリエーションとも言われる

 

レクリエーションとは、再創造である

 

この世の全てはすでに創造されているが、それを創造し直すことは可能である

 

僕たちは常に再創造して生きているのだ

 

小説を書くことは自分の中に創造されているものを再創造するプロセスではないかと思うのだ

 

知らぬ間に長くなってしまったのでまた次回にします