めいそうえっせい

色々と心のままに

次元というか多層現実というか

この世は3次元らしい

 

僕は輪廻転生を信じていて、この世での肉体を脱げばまた違う次元?かこの地上なのか分からないがどこかに生まれ変わると思っている

 

なぜそう思うのかというと

 

実は僕自身の体験にあって

 

以前ここで書いたかもしれないが、もう20年以上前に、とても深い瞑想をした夜のこと

 

眠っている僕が、目覚めた

 

寝ている自分と目覚めている自分の二つの意識がそこにはあった

 

とても短い時間だったと思うが、強烈な印象を僕に残した

 

そして朝5時ごろ目覚めたのだが、それは生まれ変わったと言って良いくらいの深い熟眠感を持った目覚めだった

 

起き上がった僕はなぜか頭に浮かんでくる詩をノートに書き留めた

 

この経験によって、意識というものは身体とは別に存在しうるという実感を得た

 

意識は身体の中にあると思い込んでいるが、それも多分理由があるのだろう

 

人がなぜこの世に存在しているのかに思いを馳せてみると、やはり成長拡大するためではないだろうか

 

人類の歴史を考えてみても、人口は増え、科学技術は発達し、生活はどんどん便利になってきた

 

人には想像・創造することができる

 

これこそ人だけが持つ意識の特別な力?ではなかろうか

 

つまり今よりこうありたい、こうなりたいをイメージしそれを実現する力がある

 

人は神に似せて造られたと聖書に書かれているそうだが、それはこのような意味があるのではないか

 

つまり想像・創造することのできる意識を神は人に与えた

 

そのために核爆弾など大量殺戮兵器を作る自由、それを行使する自由さえ持っている

 

これにどんな意味があるのだろうか

 

なんでも好きなことを考え、なんでも好きなことができる

 

一方でそんな自由はないと思う人も多いだろうな

 

特に生まれつき悲惨な国や家庭に育った人などにとって今のこの世に自由にできることなど少なく不利でしかないと思うのも当然だし

 

ただそれはこの世に人が作り上げた制限(法や規制、お金)が存在するためであり、世界自体が自由ではないからであって、人そのものが自由ではないということにはならない

 

自由だと人は何を考えどう行動するのだろうか

 

よりよくしたい、なりたいという根源的な欲望があるのは間違いないと思える

 

つまり幸福の追求と拡大

 

そうなると、神が与えた自由な想像・創造が可能な意識には、幸福の追求と拡大が埋め込まれていることになる

 

その意識は人が気づくか気づかないかは別にして、身体の中だけではなく、身体を離れて存在している

 

となれば、身体を失った意識はどこへいくのか

 

実現していない幸福の追求と拡大を続けたいと思うのじゃなかろうか

 

それができる次元とか場所とかに引き続き行くような気がするのだ