めいそうえっせい

色々と心のままに

寂しいって感覚はどこから?

今朝、瞑想を始める直前に寂しさを感じた

 

一人きりだったことと、昨日まで暑かったのが嘘のように肌寒いくらいになって、さらに風の吹く雨模様などが重なったせいだと思う

 

小さな窓から見える空が重い灰白色で、隣家の大木の枝葉が風に揺れている

 

少し寒いくらいだなと思った瞬間、寂しいという感覚がやって来た

 

何度か、自分は今どこにいるのか分からない、帰るところさえない、たった一人きりという夢を見た時などに感じたことのある感覚が蘇る

 

なんだろう

 

こんな時は誰もが思うのかな

 

瞑想を始めると今度は小さい頃のことが急に蘇ってきた

 

僕は落ち着きのない子供で絵を描くのが好きだった

 

騒がしい場所は好きじゃなくて人の多いところも苦手だった

 

友達と遊ぶのは好きだったが飽きたり嫌になるとすぐ家に帰ってしまった

 

どうしてそんな子供だったのだろう

 

それは僕のせいだったのか

 

生まれてからそうなるまでに何かの要因で僕が自然に身につけたものか、それとも生まれつきの性格なのか

 

前世?からの持って生まれたものだなあと直観した

 

僕という存在がいつからあるのか分からないし、何がその原因かも分からないけれど、ずっと引きずっている何かが生まれた時からあるんだと

 

この世に生まれて、様々な環境やシチュエーションによって、その持っているものが顔を覗かせる

 

人によって同じ場面でも全く異なる反応を示すのはそのせいだと思う

 

ただそれは善か悪かではなくて、自分がどうありたいかなのかな

 

不思議なことがあって

 

例えば、僕は新宿の人の多さは余り気にならないけど、渋谷はどうしても好きになれない

 

若い人が多いからだと思う

 

なぜ若い人が多いところが苦手なのかは今持って分からない

 

ところが避けていた渋谷を通勤で使わざるを得なくなった

 

環境が僕に避けててもダメだよって諭してるようなものだ

 

すると不思議なことに数年も経つと慣れてくる

 

昨晩、娘が帰ると言うので車で送って行く途中、こんな話になった

 

僕は電車の音は気にならないどころか、意外に好きだったりするが、娘は大嫌い出そうだ

 

へえ、そうなんだと言ったら、でも、今住んでる部屋も、道路に近くて夜中に車の音とか気になって寝られなかったけど、今は平気になってよく寝られると言う

 

そうだよね、不思議なもんだよね

 

外的な影響から自分がどう感じるかは、絶対的なものじゃないんだよね

 

と言うことは、自分が感じる寂しいって感覚も、絶対的なものじゃないかもしれない

 

人によってどういう環境やシチュエーションで感じるかはそれぞれだろうけど、それは多分絶対的なものじゃないんだろうな

 

それに瞑想を始めたらすぐ消えてしまったし

 

どこ行っちゃったんだろ