めいそうえっせい

色々と心のままに

耳順の恋

耳順とは論語で言うところの60代を指す

 

言われることは全て素直に聞けることを意味する

 

人格形成の段階を表しているよう

 

僕も含めてそんな人たちの恋を考えてみた

 

なぜなら同い年の友人がなんと「モテたい」と言い出したからだ

 

それも若い人に

 

推察するにこれはいわゆる恋愛対象としてではないと思われる

 

若い人から慕われたいくらいの意味と捉えていいのだろう

 

まあそれはともかく

 

最近は歳の差が大きくても違和感がない時代にもなっていて、例えば40歳の女性と60歳の男性が結婚するなんてのを聞いてもあんまり驚かない

 

勝手な解釈だけど、30歳くらいから精神年齢は少しずつしか変わらず、さらに肉体年齢も40と60ではそれほど大きく変わらなくなっているので、なんというか、恋愛期間のスパンが長くなっているのではなかろうか

 

かと言って僕のような妻帯者の場合、好き勝手に恋愛をしようじゃないかなんぞと思えるわけもないし、毛頭思ってもいない

 

なんだろう

 

ああ、綺麗だなとか可愛いなとかふと思ったりもするが、いわゆる異性としての対象として見ることは今はまずない

 

いやもうずっとない

 

僕は年老いて男としてダメ人間になったのだろうか

 

実はこう考えている

 

瞑想の影響なのだと

 

求めるものが変わってきている

 

なので友人からジジイになるのは早いなんぞと罵られるが一向に気にならない

 

では僕はもう恋をしないのか

 

ある本に感銘を受けた言葉がある

 

人生の秘密は、欲しいものを手に入れることではなく、持っているものを欲しいと思うことだ

 

これは知足をさらに一歩進めた解釈だと僕は思う

 

知足は文字通り足りていることを知っている状態である

 

今持っているもので十分だと

 

それ以上求めるものなどないと

 

それは心の満足である

 

求めればキリがない

 

求める心には満足がないから

 

知足をさらに一歩進めると、持っているものが十分だと言うだけでなく、それを欲しいと思う

 

矛盾語法に聞こえるかもしれないがこれが恋ではないか

 

持っているものを愛しいと思い恋焦がれる

 

今自分の元にあることに感謝の気持ちが込み上げる

 

それが女性で言えば、カミさんだったり娘だったり母親だったりする

 

もちろん恋愛という意味合いであれば奥さんになるだろう

 

耳順になってそばにいてくれる奥さんに感謝し恋をする

 

これは愛という普遍的なものへと昇華していくのかもしれない

 

そんな恋も素晴らしいと思える