めいそうえっせい

色々と心のままに

恋には段階があると思う

 

なんとなくだけど、好きが恋に変化して、それがさらに高まると愛になるって、漠とした概念的なものを抱いているのは僕だけだろうか

 

でも果たして本当にそうだろうか

 

恋焦がれるという

 

恋は盲目ともいう

 

となると、恋は焦がれなきゃならないし、盲目にならなきゃならない

 

中学生の頃、天地真理が絶大な人気を誇っていて、僕とコンちゃんとノブチカの仲良し三人組は彼女に熱中した

 

今、「推し」という言葉があるが、まさにそれだっただろう

 

僕たちは、天地真理のポスターや雑誌の切り抜きやブロマイドといった彼女の載っているものを集めに集めた

 

では僕たちは天地真理に恋をしていたのか

 

僕は、天地真理は◯んこをしない、するはずがないと言った

 

するとノブチカはうん、そうだ、間違いないと言った

 

本気でそう思っていたのだ

 

ところがコンちゃんはこう言った

 

その通りだ、天地真理が◯んこをするわけがない

 

でもだよ、万が一、本当に万が一、◯んこをしたとしても僕はそれを食べられる

 

僕とノブチカは声をなくした

 

負けたと思った

 

そして改めていま思うのだ

 

そうだ、あれが恋だ、あれが恋焦がれるということだし盲目だと

 

では僕はどうだ

 

そんな恋をしたことがあるかと問われると該当する可能性があるのは、今までの生涯でただ一度きり

 

高校2年生の時にほんの僅かな時間を共にしたKさんだけだ

 

確かに小学生で好きになった子はいたが、それこそ胸がキュンとするくらいだったし

中学生で好きになった子(これも確か違うKさんだが)は遠目に眺めて可愛いなとせいぜいがアイドル的な憧れのような感情を抱いただけだった

 

僕は奥手でシャイで、そのくせ自意識過剰で、女の子に告白するなんてのは死んでも出来ないだろうとずっと思っていた

 

そんな僕が内側から溢れ出るKさんへの熱い感情に耐えきれず、とうとう告白したのだ

 

学校の非常階段で

 

運よく付き合うことになった

 

Kさんは違うクラスの同級生で、バドミントン部に所属する色の白い子だった

 

ところがとにかく話せない

 

面と向かってだろうが電話だろうが、彼女を前にすると何も浮かばないのだ

 

3時間くらい電話をして話したのは二言くらいだったことさえある

 

一度だけ彼女の家に遊びに行った

 

確か彼女が誘ってくれたのだと思うが、彼女の両親が学校の先生で、どんな男とお付き合いしているのか心配したのではないかと思う

 

応接間でソファーに座るとお母さんがケーキと飲み物を持ってきてくれて僕たちは何も話さず無言で食べていた

 

すると妹がやってきて囃し立てた

 

その時、目の前に座る彼女が「もう」と言って、彼女の後ろにいる妹を振り返った

 

彼女はスカートを履いていたのだけれど、彼女が後ろ向きに伸び上がったことで、そのスカートがめくれ上がり、白いパンティが見えてしまった

 

僕は見てはいけない物を見てしまったと思った

 

見ようとしたわけでもないのに罪悪感を持った

 

なんとも言えない不思議な感情だった

 

Kさんとは結局デートに行くことなく、その後しばらくして別れた

 

僕は耐えられなかった

 

彼女と何も話せない自分に

 

そしてそんな自分からは彼女は離れていくだろうと思い現実にそうなった

 

しばらくして彼女が同級生であまり目立たない男の子と一緒に帰る姿を見た

 

僕は衝撃を受けそこから人生が大きく変わった

 

たぶん本物の恋にはそのくらいのパワーがあるのだと思う

 

ではもう何十年も連れ添っているカミさんにはどうなのか

 

実は彼女にはそのような意味での恋をしたことはない

 

7年もの付き合いを経て結婚し子供ができ共に苦労しながらやってきた

 

ある意味戦友のような関係にもなっている

 

今でも口げんかをよくする

 

恋がオーバーシュートするような鋭い波形を描くとすると、僕とカミさんの関係は、ずっと振幅の少ない安定した波形を描いてきた

 

でもそれだからこそなくてはならない関係だとも言える

 

空気や水のような

 

なくなったときにその大切さを知る

 

それが愛かもしれない

 

本物の恋から愛に発展することもあるだろうが、それは稀のような気もする

 

僕がKさんと付き合い続けて、徐々に話せるようになり、互いのことをもっとよく知って行った先に愛が待っている保証はない

 

恋は盲目だからいいこともあるのだ

 

見えてしまうと恋が消えてしまうかもしれない

 

天地真理は◯んこをしてはいけないし、それを知ってはいけないのだ