めいそうえっせい

色々と心のままに

小説談義

友人と小説クラスに参加した後、食事しながら互いの作品について語り合うのは、何よりもの楽しみだ

 

毎回、同じような経過を辿る

 

気の置けない友人なので、あまり気を使うことはないのだが、やはりそこは親しき中にも礼儀ありで、最初のうちは、良いところをコメントしたりする

 

ところが酒が進んでくると、和やかだった雰囲気が怪しいものへと変わっていくのだ

 

あそこのリアリティが少し乏しいとか、葛藤がもうちょっと欲しいなどから始まって、ここの表現はこうした方がいい、ああした方がいい、俺ならこうするとなる

 

そのうち、そもそもお前の作品はああだとかこうだとか、過去の作品まで持ち出してくるともう始末に負えない

 

還暦過ぎた親父二人が、信じられないことに小学生の口喧嘩のようになるのだ

 

それこそお前の母さんでーべそという具合に

 

何しろ自分の作品というものは、どんなにダメ出しされようとも馬鹿な子供みたいに可愛いものなのだ

 

私はさすがにやらないが、彼は、最後になると踊り出す

 

多分彼の一種の癖なのだが、勝手に自分で作った節回しに合わせて両手を挙げたり振ってみたりと様々に振り付けをして、なんと、お前はバーカだとかなんとかを繰り返す

 

もしこの情景を録画でもしようものなら、見た家人や友人たちは、気が狂ったとしか思わないだろう

 

僕はそんな彼にやめとけよ、いい歳して恥ずかしいとかは言わないのだ

 

なぜなら、僕だってそうしたいくらいだから

 

彼が踊り出すと僕は悔しい思いをしながらとりあえず反撃の機会を窺い、彼の踊りがひと段落するのをじっと待つ

 

次に何を言ってやりこめてやろうかと頭はぐるぐると回っている

 

いつも家に帰ってから馬鹿だなあと思うのだがやめられない

 

こういう頭の使い方は老化防止に役立つのだろうか、それともその逆で幼児化することによって老化を早めているのだろうか

 

僕には判断がつかないが、きっとこれからも続けるのは間違いない