めいそうえっせい

色々と心のままに

創造するということ

定年し使える時間が増えた

 

人付き合いはほとんどなくなった

 

寂しいといえばその通り

 

一方で今までの会社生活とは何だったんだろうとも思う

 

まず自分と家族のために生きる糧を得るためではあった

 

自己実現

成長?

 

確かに多くの経験をし学んだことも多い

 

だがあえて今こう思う

 

すべては遊びではなかったかと

 

その時々は真剣だったし必死だったし悩んだり落ち込んだり

喜んだり浮かれたりもした

楽しい日々も辛い日々もあった

 

過ぎ去ってみるとどうだろう

 

今は?

 

何も本質は変わっていない

 

元々の自分は何も変わってはいない

 

もっといえば自分自身に戻っていっている

 

様々な経験や気づきは自分自身に戻るための糧だった

 

まさにそのプロセスにいる

 

自分が自分になっていくということはより創造的になるということ

 

人は本来創造的なものだから

 

大好きな白隠さんは夜船閑話や坐禅和讃を初め様々な著作や禅画を残している

 

若い頃に厳しい修行をした白隠さんは物凄く創造的だったのだ

 

今このような取り止めもないブログを書いたり文章コンクールみたいなもの

に挑戦しようとしている

 

自分がこれほど文章を書くことが好きだったとは思いも寄らなかった

 

小さい頃は絵が大好きだった

暇さえあれば絵を描いていた記憶がある

 

大人になって絵は描かなくなった

絵そのものより集中し時間を忘れることが好きだったかと思う

そして自分の中にあるものを形にすること

 

これほど楽しいことはないとさえ思える

 

瞑想の修行をしながら何か自分の好きなものを創造する

 

こんな素晴らしい自由はない

 

お金は必要十分あればよい

 

贅沢など全く不要

高級な旨いものもオシャレな洋服、海外旅行の類いも不要

 

気になるのは一人暮らしの母親と子供たちの行く末だけだ

もちろん自分と女房の老後も多少気になる

 

しかしなるようになっていくということも心のどこかで知っている

逆にいえばなるようになるしかなくそれを受け入れることだけなのだ

この相対的な世界では見かけの変化は当然なのでそれはそれとして

自然なことと受け入れる

 

自分の内側はそれを眺めている

 

ただいずれは白隠さんの言われた「無縁の大悲」なるものに辿り着きたい

 

まだまだだな