めいそうえっせい

色々と心のままに

瞑想修行の日々

Yahooニュースを見た

 

ティーブジョブス氏が師事していた禅僧の記事が載っていた

 

その禅僧を本にした作者へのインタビュー記事のようなものだ

 

ジョブス氏が瞑想をしていたことや東洋思想や医療などに造詣が深い

ことは知っていた

 

膵臓癌で手術すれば完治率の高い珍しいタイプにも関わらず手術を避け

異なるアプローチを取って結局亡くなったと言うことなども

 

日本人の乙川師と言う禅僧に深く傾倒していたと言うようなことが書いて

ありジョブス氏の結婚式にまで呼ばれていたとか乙川師が逝去されたとき

には声を上げて泣いたと言うようなことも

 

その乙川師はアメリカに渡って当時のヒッピーカルチャーみたいなものに

衝撃を受けたとか

そして欲望のままに生きてその評価は真っ二つに分かれるとか、最期は

酒を飲んで娘と一緒に溺死したとか

 

いずれにせよ詳細については分からないことが多いようだが

 

一つ気になったことがあった

 

四弘誓願のことだ

 

禅宗では非常に重要な戒律と言っていいかもしれない

簡単にいえば4つの誓いだ

 

大好きな白隠さんのことを著した書籍にもよく出てくる

 

禅の道を目指す者はこの4つの誓いを守られなばならないとされている

(と思う)

 

白隠さんも本当にそう思っていたのだろうかと言うのがかねてからの疑問だった

 

4つの誓いの中でも最も大切なのは利他の誓いだとされている

 

もちろん利他の精神を否定するつもりはまったくない

 

現実は我欲で満ち溢れている

 

自分、自分の家族、自分の会社、自分の地域、自分の国がよければ・・・

面白いのは自分の地球・・にはならないことだが

 

これほどの我欲は今に始まったことだろうか

 

それとも昔からあったものか

 

もう一つの考え方

 

自分が真に満たされなければ他人を利することはできない

 

自分をコップに例えるなら自分から溢れる水が他人への奉仕に使われる

 

自分のコップが満たされていないのに他人に奉仕「せねばならない」

のであればここには葛藤が生じる

 

先の乙川師はこの葛藤があったのではないかと自分は推察した

 

禅寺のように多くの修行僧がともに修行に励む環境(純粋性が維持されている)

の中ではこのような4つの誓いに悩むことも少ないように思える

 

しかし実際に世間の荒波に晒されると自分の信じてきた、そして固く誓ってきた

ものがそう単純、簡単ではないことを思い知るだろう

 

そしてこう考えた

 

四弘誓願は守るべき戒律ではなく、修行の結果、到達できる境地ではないかと

 

そのような4つの願い(誓いではなく)が成就する境地に至りますよと

 

禅の道で得られる人としての完成形を表したものではないかと

 

もちろん違うかもしれない

 

しかし、自分が何も持たず食うものもなく餓死寸前に追い込まれたとき

店の品物を盗まないと言い切れるか

 

もし他人のものを奪ってはならないと言う戒律を固く守ってそのような

時でも守り切れる人は、同じ理由で盗む人を許せるだろうか

 

乙川師は人が自由に欲望のままに生きることが本当に悪いことなのかと

言う根本的な疑問を持っていたのではないだろうか

 

それが4つの誓いを(守らねばならないと)信ずるがあまりその矛盾に

ぶち当たったのではないだろうか

 

そう思えたのだ