めいそうえっせい

色々と心のままに

「男はつらいよ」を観て思うこと

以前にも書いたが土曜日の夜にBSでやっている「男はつらいよ」シリーズを観ている

 

面白い

 

山田洋次という人は天才ではなかろうか

 

もちろん渥美清倍賞千恵子など俳優陣の名演技もあってこそではあるが

 

何よりも凄いと思えるのは「間」である

 

剣豪でいえば己から斬りに行くことはせず、十分引き付けておいて一刀両断する

 

さりげない風景や仕草にとてつもない深みを感じさせる

 

正直、マドンナだとか何だとかってのはメインディッシュではなく刺身のつま

であるとさえ思える

 

番組では過去を振り返るような時間があり北山雅康氏がナビゲーター

として紹介してくれるがあれを見るとなるほどと思わせてくれる

 

あの映画を作り上げ関わっている全ての人物がシンフォニーを奏でている

 

もちろん指揮者は山田洋次監督だ

 

映画監督である前に一人の人間として素晴らしい

 

不世出の真の名監督ではなかろうか

 

もちろんあのような映画も今後生まれることはないだろう

 

渥美清が「車寅次郎」に役者人生の全てを捧げようと思った気持ちも

何となく分かるような気がしてくる

 

人の間と書いて人間という

 

人には間が大切だ

 

人は人だが個人ではない、人と人との関わり合いがあって人は存在している

 

今、流行りの半沢直樹というテレビドラマがある

 

凄い視聴率だそうだ

 

自分も第1シリーズ?を見た時、面白いと思った

 

数年の後、第2シリーズが始まったわけだが

 

???となってしまった

 

面白いと感じないのだ

 

自分の感性が錆びついたのか、それとも・・・

 

「間がない」ということに気づいた

 

何だか、ドラマ全体が焦っていて、役者がみな怒鳴っているという印象しかない

 

ストーリーさえ頭に残らない

 

多分、主人公もしくは銀行の危機に対して歯向かってるんだなくらい

 

あれならどんな原作だろうと、悪役を作って怒鳴ってりゃ誰でも作れる

 

まあ見せ物として見れば目くじらを立てることでもない

 

要するに「間のない」ものには、余韻がない

 

響かないのだ

 

共鳴するには「間」がいるからだ

 

ぎっちぎちに詰まっているから1が1のまま

 

間のあるドラマや映画は、見終わった後にこそ真骨頂がある

 

1が5にも10にもなるからだ

 

男はつらいよ」とは日本を代表するその核心を突いた映画の

数少ない一つである