めいそうえっせい

色々と心のままに

瞑想修行の日々

この世で思いのままになる人が存在するか

 

存在している

 

実現しないことを思いもせず実現することのみを思う

 

この世界には法則が存在する

 

自分の目の前のコップを取って水を飲む

 

これが可能になっているのは様々な法則がそこに働いているからに

他ならない

 

そうでなければ単純な目の前のコップの水を飲むことさえ至難の技に

なることは容易に推測できる

 

水はコップに入ったままであり空中に出ていくことはない

 

手を動かしてコップを取ろうとする意思により神経伝達物質が規則正しく

働かねば何を取るやら分からない、取れても強さがコントロールできなければ

握り潰してしまうかもしれない

 

口元までコップを持ってきて傾けると水が流れてくる

水は「大人しく」流れてくる

コップの底にへばりついていることはない

 

全てあるべき法則によって規則正しくコントロールされていることだ

 

要は、目の前のコップの水を飲むという「思い」を実現させる能力がある

ということは、どんな思いでも実現しうる可能性を示している

 

自然法則に則っている限り

 

お金持ちになりたいと思ってお金持ちになる人と

同じように思ってもそうならない人との違いは何か

 

思いが自然法則に沿っているかどうかだけだろう

 

コップの水で言えば、健康な頭と体と意思があればコップの水を飲む

という思いは自然法則に沿うことができる

 

一方、何らかの障害により腕が不自由な人にとってはその思いを実現

することは困難になる

障害の存在が自然法則を妨げるからである

 

先ほどのお金の例も同じ

思っても実現しないということは自然法則を妨げる何らかの要因が

あるということに他ならない

 

どんな思いも実現する、つまりは思いのままになるという人は

自然法則に障害とならない思いを抱く人ということだ

 

あれやこれやの思いの中から選ぶのではない

 

自然に湧き出る思いが自然法則に沿うということ

 

その思いが自然に実現しそれを「経験」する

その「経験」が「気づき」になる

そして最後には、ああ、自分の思いは自然に実現するのだと「知る」

 

つまり「知識」になる

1+1は2になるという「知識」と同じ

 

自分の思いは自然に実現するという「知識」になる

1+1が2になることをこれっぽっちも疑わないが如く

実現することを疑うことなどあり得ない

 

そしてそれが人間の到達しうる最高の境地なんだろう