めいそうえっせい

色々と心のままに

とうとうカルチャースクールへ3

まあ要は習い事は性に合わないということ

 

なんだが

 

小説を書く友人が秋から始まるカルチャースクールに行こうと誘ってくれた

 

せっかく誘ってくれたモノを無碍に断るのも忍びない

 

そこでまあお付き合い程度で行こうかと

 

小説関連のスクールだ

 

月一なのでそれほど負担はないのだが作品をやはり月一ペースで提出せねば

ならない

 

初めての回に行った

 

最初なので作品は出してない

 

10人ほどいる受講生の作品を講師が順番に講評していく

 

この講師はなかなか良い

 

嘘がない

 

真摯である

 

好き嫌いは・・・

 

ありそうだ(まあ人間だから)

 

提出された作品はホラー、ファンタジー、時代物、ホーム系などなど様々

 

しかしレベルが高い

 

皆文章が上手だ

 

誘ってくれた友人が以前言っていたスクールの受講生が書いたモノをいくつか

読ませてもらったことがあるが数段こっちが上のようだ

 

ストーリーそのものの面白さは別にしてだが

 

以前ここに書いたかもしれないが自分が小説もどきを書いていると言ったら

「慟哭」を読めと勧めてくれた

 

読んだ

 

社会小説+警察小説+推理小説をミックスしたような話といえばいいのか

 

最後にどんでん返しが用意されているが・・・

 

文章は丁寧かつ緻密である

それは間違いない

自分などは足元にも及ばないだろう

 

ただ偉そうに書いて申し訳ないのだが

 

小さな娘を亡くした父親(警察官)が精神に異常をきたして結局幼女連続殺人

を引き起こすというメインプロットなのだが

 

弁当でいえばおかずが多すぎてどれを食べていいか分からないのだ

 

箸が迷う

 

結構有名な作家がアドバイスというか推敲に手を貸したか分からないが

なんとなくそんな匂いがしてくる

 

伏線的なサブプロットを配しすぎた感が強い

 

最も大切な料理、弁当でいえば例えばハンバーグを楽しみにしてたのが

他のおかずで腹いっぱいになってしまってなんだかなあみたいな

 

こねくり回した感が強いのだな

 

もっとシンプルかつ直線的に描いていたら数倍楽しめたように思える

 

作者の方すいません

 

でもこういうことはもしかすると起きがちではなかろうか

 

自分がスクール自体を危惧する一つでもある

 

ああだこうだとひねくり回されると元の良さが消えることが多い

 

どんなに稚拙でも下手くそでも最初のものにはそれなりの価値がある

 

賞などに応募するときに何度も読み直し迷うことが多くなる

 

人の意見を聞きたくなる

 

そういうとき自分は初志を大切にするようにしている

 

例えば先日書いた作品は

 

自分のアルバイト実体験を元にして空想を膨らましたものなのだが

 

ある女の子が光欲しさに主人公をつけ狙う

 

ラストは二人が抱き合って大団円

 

愛を取り戻すみたいなものになっている

 

しかし、見直したときに序中盤のドキドキ感をラストまで持続させる方が

面白かもと思い始めてしまい女の子がつけ狙っていたのは主人公ではなく

実はその恋人だったというように変えてみたのだ

 

実際手直ししてみた

 

迷ったがやはりヤメて初志のモノにした

 

おかしいのだな

 

こねくり感がやっぱり強くなる

 

なぜだろう

 

文章に嘘?というか作り事が入るからか

 

初志のものももちろん作り事だが

 

何が違うのだろうか

 

たぶん小さな欲だな

 

姑息なというか小賢しいというか

 

そんな匂いが出てくるんだな

 

通い始めたスクールでは作品の合評はしない

 

講師が基本一方的に行いアドバイスをする

 

そのアドバイスも決して押し付けがましくない

 

彼は編集者あがりなので経験上のことだ

 

わかりやすい

 

ということで生まれて初めてのカルチャースクールへ半年通う