物書きを趣味にする者にとっては非常に興味深い本である
いや、もしかするとプロの作家にとってもそうかもしれない
先日、小説家と飲んだ
女性である
二人きりではなく他にも数人いた
さすがにプロだけあって、視点も指摘も鋭く、なるほどと思わせる
その中で彼女は、読者へのサービス精神が重要だということを強調した
書き手中心の独りよがりになるなという意味を多分に含んでいる
また私の今書いている作品については、救いをぜひ入れるべきであるとおっしゃった
実は私はどのような展開とラストにするか迷っていた(今も迷っている)
確かにあまり救いのない話を書いている
かといって安直な救いが必要だろうかという思いがある
人生は厳しい
まるで救いがないように見えるのも現実である
しかし人はどこかに救いを見出すのではなかろうか
そんなとき、スティーブンキングの小説作法を読んだ
小説というものは、人の数だけあるのではと思わされるほど多彩である
流儀もへったくれもない
語彙、文法、構成、その他、意見は数々あれど、どこにも定型的なルールなど存在しない
極論すれば好き嫌いがあるだけだ
こう書かなくてはなどは何一つない(と思う)
これまで四人の講師(編集者二人、小説家二人)に習った経験からすると、
1、人称と登場人物の数
2、時代背景 いつを書いているか
3、冒頭のつかみ、読者サービス
4、内側にある書きたい、書かねばならないことを書く
この4つに集約される
1と2は基本的な小説のルール的な作法、つまりは読み手側が混乱しないようにという書き方であり、3、4は書く上での心構えみたいなものを言っていて、1、2は編集者、3、4は小説家であることが興味深い
いずれにしても、これが小説の書き方であると明瞭明確に言えるものは何一つない
その点、スティーブンキングは明確である
1、よく読み、よく書く これが出来なければ作家を目指すな
2、構成不要
3、小説は作り上げるものではなく、化石のようにすでにあるものを慎重に掘り出す
仕事である
等々、これほど僕に刺さった言葉はない
僕を小説の世界に誘ってくれた友人は、ストーリーを考え、登場人物のキャラ設定をし、プロットを細かく構築(構成)すべきという考え方の持ち主で、それを図解にして講座の参加者に配ったりした
僕はといえば、小説を書く面白さとは、出来上がっていくワクワクするようなプロセスにこそあるような気がしていた
ある程度のストーリーというか、こんな話を書きたいと思って書き出すのだが、それが途中から変わっていってしまうことが多く、自分でも予想がつかないのである
僕はそんな自分の書き方は邪道だと思っていて、正統派ではないと思っていた
ところが小説の作法によって、それが意外にも的を得た書き方かもしれないと思えたのである
例えばあるシーンを書こうとするが、どうにも納得できない
それがなぜだか自分でもわからない
しばらく放っておくと、ふと全く異なるシーンが浮かんだりして、ああこれだったと思ったりする
こんなことが多い
読んでくださる方がいるとして、どう読まれるかは全くわからず、どちらのシーンがいいのかと悩むが、スティーブンキングは明確に僕のやり方を支持している
作家になれるかどうか、売れるかどうかより、世界に埋もれる化石を発掘する仕事と思うと、胸が踊るのは多分僕だけではないだろう