実家のトイレが怖かった話の続き
夜とか一人でトイレに行くと、手前の引き戸を開けて、オシッコをするのだけれど、自分の立っている左隣にある和式トイレの引き戸の奥に何かがいて、その扉が開く恐怖にいつも駆られていた
何度も夢で見たし
トイレから逃げ出るんだけど何かが追いかけてくるのが分かる
でも怖くて振り返れない
そんな夢
もう一つはこれはちょっと不思議で怖いんだけど、確か小学校五年生か六年生だったと思う
まだ僕たち四人家族は、同じ部屋で寝ていて、ある時、寝ていた僕は何気なく布団を頭からかぶって足元を見たら、顔があったんだよね
これは驚いた
どんな顔だったか今は思い出せないけどあの頃は実際に見たと思った
今もってあれがなんだったのか分からない
子供というものは、すごく想像力や空想力が豊かで、勝手に色々なものを自分の頭の中に作り上げられるから、ある意味そこから生まれるホラーというのは純粋?な形なんじゃないかな
もう少し歳を重ねると、キャリーのようなホラーもあるよね
あとなんだっけ、人形のやつ、あれも怖い
子供心に怖いと思ったものは大人になっても心のどこかにあるからホラーとして成立するような気がする
きっとスティーブンキングはその辺りをよく分かってるんだろうな
さて、肝心の僕のホラー小説の話だけど
無条件の愛がホラーにならないかと考えたんだ
どんなホラーにしたってそこには情念が存在するはずで、それは果たされなかった思いみたいなものがあって(番町皿屋敷とかね)裏切られたとか、こんなはずじゃなかったとかさ
イットみたいなものでも、もしかすると、親が子供に言うことを聞かせるときに使う一種の脅し?、例えばナマハゲなんかもその類だと思うんだけど、子供からしたらその恐怖心が形になったもので、これって愛の対極に位置しているわけだよね
あの怖さを形にすることで、親が自分に与えた愛ではないものに対する負の感情を曝け出してしまおうって話なんじゃないかな
だからこそ多くの人の共感も得るのではないのかな(考えすぎ?)
僕は天邪鬼なので、それならいわゆる情念とか恨みとか恐怖ではなく、無条件の愛をテーマにしてホラーにすることはできないだろうかと考えたわけで
そしてそれを今書いているのだ
今週中に完成予定なので同じブログの「希望の交差点」に掲載するつもり
果たしてうまくいくのかな