めいそうえっせい

色々と心のままに

林真理子氏からのついで

ここまで書いてきてふと思った

 

小説講座に通ってすでに3年になるが、あの文芸界という特殊な世界についてである

 

僕はこの3年それなりに勉強してきて多少のことはわかるようになった

 

小説家の何人かや編集者だった方達とも知り合って飲んだり話もできた

 

作家になりたい人たちとも交流してきたし今もしている

 

本も相当数読んだし、今も読み続けている

 

その上での今現在の違和感と結論である

 

まず違和感

 

僕は40年近くビジネスの第一線でやってきた

 

それは正直僕にとって厳しいものではあった

 

その前提で彼ら、つまり小説を含めた文芸を生業にしている人たちと向き合うと、どこか違和感があるのだ

 

それは一体なんだろうとずっと思ってきた

 

今回の林真理子氏の一件であることに思い当たった

 

彼らはビジネスの世界とは縁遠いのである

 

つまり僕の考える価値観とは異なる価値観で生きているようなのだ

 

その価値観とは何か

 

一言で言えば「好き嫌い」である

 

好き嫌いが絶対的な判断基準になっているように思う

 

で、これは致し方ないのだろう

 

そういう世界であるのだから

 

本を読むと昔の作家連中も、色々と付き合いや好き嫌いがあって、自分の作品が一番であいつのはダメだとか言いたい放題やっていたらしいが、それが成り立つのも、きちんとした物差しがないからである

 

売れた売れないだけでは測れない文学的側面があるだけにああ言えばこう言うというのが成立する

 

売れれば大衆迎合であるとか、売れなければ独りよがりだとか

 

さらに言うと、書いた内容からその人を判断しようとするきらいがある

 

もちろん書いたものに作家の何がしかが投影される部分はある

 

しかしそれはあくまで部分であって全体ではない

 

人は単純系ではない

 

それをステレオタイプしたがるのだ

 

そしてこうだと安易に勝手に思い込む

 

言うなれば幼稚なのだ

 

そう、幼稚な集団ではないだろうか

 

30️から40代の人たちとも交流しているが、彼ら彼女らを見ていると、どこか現実逃避しているようなところを感じる

 

もちろん内側に何かが書きたい、書かなくちゃならないみたいなものがあるから小説に書こうとするわけで、それは決して変なことではないのだが、どこか自信なさげなのであって、人からの視線を常に気にしているような風がある

 

人からどう読まれているか、どう見られているかを気にしすぎているからだろうか

 

それは作家としてデビューしたい欲望の裏返しなのだろうか

 

ある雑誌の元編集長だったという人がいる

 

みなこの人を奉るようにしている

 

それだけ大した人なのだろうし、実際に作家を何人も排出しているらしいので、そのネームバリューでそうなっているようだ

 

でもある時、この人は結局、自分の好き勝手なことを言っているに過ぎないと気づいた

 

過去の栄光に縋りついているようにも見えた

 

何を教えられるわけでもない

 

それを必死に皆、耳をダンボのようにして聞いている

 

自分も聞きながらこれでは作家にはなれないなと思ってしまう

 

唯一あの元編集長はダメ出しをするのが仕事である

 

ダメ出しをされた側は自信を失うがもう一度頑張ろうと這い上がる

 

そこで成長のプロセスが始まるという図式だ

 

ところがダメを出されたくない人間ばかりなのだから話にならない

 

違和感に戻る

 

要は、なんのモノサシもない世界で好き勝手にやれてきたしまった人間というのは幼稚で甘いということである

 

正直に言ってあの元編集長も同じである

 

自分の読んできた本と付き合ってきた作家に対する好き嫌いがあるだけだ

 

あとは今まで培った人間関係のみ

 

林真理子氏も同様

 

他に中身は何もない

 

決して良い悪いではない

 

世界が違うのだ

 

そして僕の結論

 

文芸界は芸能界みたいなものであって人気が命、そしてその世界の者にビジネスを任せてはいけないのである