松井さんは、破天荒な男だった
もう何十年も前に死んでしまったが
表向きは、ガンだか何かと聞いたが、松井さんを知る者は、殺されたに違いないと噂した
関西から転勤でやってきた松井さんは、とても小柄で細くて、ぴっちりした七三分けの髪型をした「腰の低い人」だった
最初の一ヶ月ほどは
松井さんはその裏側に隠していた粗暴な顔を少しずつ見せ始めた
新人に毛のはえたくらいの僕は、とんでもなく酒を飲まされ、マロリーワイスで鮮血を大量に吐き、同期の男は、ただ並んで歩いていただけで、横面にパンチをくらった
上司がいようがお構いなし
カラオケスナックで自分の歌の順番が遅いと怒鳴って、ボトルやら氷やらグラスが載ったテーブルをひっくり返したこともある
飲んだ後、ヤクザっぽい50絡みの男が、ケバい女を両肩に抱いて、立ちションしていたところに通りかかった
「そんな粗末なもん、みせんな、コラ!」いきなり松井さんが怒鳴った
僕たちはその男に必死に謝り、その場を収めた
そんなことがしょっちゅうだった
温泉に社内旅行で行った時も、宴会場で松井さんは暴れ出し、みんなで抑え込んだ
ゴルフで、芝目を読んでいる僕のボールを踏んづけグリーンにめり込ませる
もう40歳を過ぎていたが、狂犬と言ってよい人だった
ところが時代なのか、社内では問題にもされず、もちろんクビにもならなかった
それどころか昇格したくらいだ
ただ不思議な魅力を持った人であったこともまた事実で、そんな傍若無人ぶりに眉を顰める人は多かったが、懐いている後輩や部下もそれなりにいたのだ
僕はと言えば、そのどちらでもなく、こんな破天荒な中年の社員もいるんだ、くらいに思っていて、それより、そんな人を許し、昇格までさせてしまう会社に驚いていた
そんな頃、支店長が代わり新たな支店長が転勤してきた
これがまたとんでもない人物だった
1時間ほどの訓示は、何を言っているのか、言いたいのか、さっぱり分からない
ナンバーツーの部長を人前でこき下ろす
支店長室にゴルフのパターマットを持ち込んでずっと練習して部屋から出てこない
重要な顧客への訪問を、当日朝に健康診断を忘れていたと言ってドタキャンする
毎年の創業者の命日に、墓石を自ら雑巾掛けして支店長になったと、まことしやかに噂されていたほどだ
ある日の朝、女性事務員が言った
「松井さん、支店長からお電話です」
僕はその時、たまたま松井さんの近くにいた
コピーか何か取っていたと思う
松井さんは最初は、はい、はい、そうです、などと、いつもの松井さんらしくなく神妙に受け答えしていたが・・・
「お前!!!誰にもの言うとるんじゃ!!!ボケ!!!」
そう怒鳴ると、いきなり受話器を叩きつけるようにして切ったのだ
そして、松井さんは会社から出ていくと、そのまま帰ってこなかった
二度と
松井さんが亡くなったと聞いたのはそのずっと後だった
松井さんを破天荒と言わずして誰を破天荒と言うのだろう