ほとんどその存在しか知らなかった、瀬戸内寂聴さんの生涯を垣間見てみると、この人にこそ波瀾万丈という言葉が当てはまるなあ
何しろ、夫と娘を捨てて、東京から京都へ逃げるように駆け落ちし、その後、小説家としてデビューする
その後も不倫などを経て、出家する
墓碑銘だかに、愛した、書いた、祈ったとあるそうだ
肉欲に目覚め、それを小説にしてきた半生を見ても、自分の尽きない煩悩を抑えるために、仏門に入ったのかなとも思えてくる(実際は知らないよ)
いくつも、名言を残された
他人が何と言おうと、自分のやりたいことをやる
愛はゆるす
どん底まで落ちれば、その勢いで浮かび上がる
この三つの言葉には、寂聴さんが依って立ってきた思想が見えるような気がする
寂聴さんは、自分の幼い娘を捨ててまで、男に走らせた自分の行動を許せず、それはそれは悔やんでも悔やみ切れなかったほど後悔したことだろうし、自分をずっと責め続けただろう
本人もそうおっしゃっている
その経験は寂聴さんに何をもたらしたか
強さ・・・だと思う
どん底を知った強さ
自分を捨てられる強さ
もっと言えば究極の開き直り
守るべきものが何もない(自分の命さえ)者の強さ
だからこそ寂聴さんは、自分のやりたいようにできる
誰からも、何ものからも、そして肝心の自分自身からも「自由」だから
そして気づいたのではないだろうか
これは愛ではないかと
すべてを捨てて自由になって、初めて知る愛
他人も自分も自由に愛せる
誰からも愛される必要がない
愛されないかもしれないと怖がることもない
愛を失うかもしれないと守るものなど何もない
自分を愛そうとも思わない
愛は自由だから
自由だからこそすべてをゆるす
ゆるそうと考えることもない
自由だから、すでにゆるされているし、ゆるしている
寂聴さんの言葉が心に響くのは、それが真実だと聞くものの魂が共鳴するからだろう
彼女のような生き方を、誰もができるわけはもちろんないが、その言葉に触れるだけでもきっと意味があるのじゃないだろうか
少なくとも僕にとってはそう思える
愛はゆるすという言葉は、ずっと昔から知っていた言葉ではあるけど、その表面的な意味でしか捉えることはなかった
寂聴さんの言葉によって、ほんの少し、その深い意味を知った様な気がする