日本の政治と松本人志問題はその権力構造と閉鎖性において近似する
異なるのは外圧の有無だけである
前者に外圧、つまり選挙がなく、後者には文春という外圧があった
政治において国民は選挙という手段で外圧を働かせうるが、変化をよしとしない高齢化社会と、ことなかれ主義で変革エネルギーの乏しい若者で構成される日本社会の現状では難しいかもしれない
一縷の希望は、自治体の首長である
彼らは前回述べたように、一国一城の主であって、比較されうる
もちろん閉鎖的な自治体もあって既存の権力構造や集票団体と密接なつながりを持っているために外圧が働かないところもある
しかしそれが少しずつ変化しているようにも思える
信念を持ってマツリゴトを行おうとする首長が増えているように思える
その人たちが新たなる日本のリーダーとして真っ当に、かつ穢れることなく大きく育って欲しいと願っている
一方の松本人志問題である
彼はお笑い界のトップに君臨する権力者である
ところが文春という外圧で休業を余儀なくされた
もしかすると性加害ではないと彼は言いたいのかもしれない
後輩芸人に合コンを設定させ、やってきた女性と飲んでたまたまそのような関係になった、つまりは合意のもとであると言いたいのかもしれない
百歩譲ってその主張を受け入れるとしよう
僕はこう思う
だとしても最低な人間だと
なぜならトップだから
日本の政治家が姑息にもあのような裏金問題を起こしながら、法的には問題がないと保身だけに必死になり、さらには見せかけだけの本部を立ち上げて逃げようとしていることと、松本人志のやっていることは同じ構図である
違うのは文春という外圧があって松本人志は逃げきれなかっただけである
そもそも、お笑い界のトップに君臨する人間が、大学生でもあるまいに、後輩芸人に合コンを設定させるということ自体があり得ない
もっと端的に言おう
遊ぶなら自分で遊べ
他人や後輩を巻き込むな
知名度も金もあるのだ
それをコソコソと後輩を使う仕組みを作ってやること自体がトップの所業ではないのだ
つまり彼は日本の政治トップと同じく、たまたまトップになれてしまっただけで、トップとしての人間力も資質も、さらにはトップとしての覚悟も何もなかったことを露呈してしまったのである
日本の政治トップは小心者ではないが、政治家に必要な基本的な資質が完全に欠落している
その資質とは先を見通す目とこういう国を作りたいという圧倒的な熱量に他ならない
どちらもない
この辺りが世襲の問題なのだと思わされる
一方、松本人志のお笑いセンスは高い
高いが、僕は松本人志という人間は相当な小心者ではないかと思っている
その理由は書かないが彼を見ていてよくそう思う
小心者ほど権力を握るとしがみつき権力に頼る
今回の事件はまさしくそれを証明したといえると僕は思う
ちなみに娘は松本人志のファンで、僕が少しでも彼のことを悪く言うと、機嫌を損ね、まっちゃんは何事もなかったように戻ってくると言った
ジャニーズ同様、これがファン心理というものかと思わされたが、もしかするとグルーミングという現象につながるのかもしれないとも思った