なんだかんだと言いながらすでに1月も中旬になってしまったのである
今、東の小窓には、淡いブルーバックの空に綿菓子のような雲が流れている
静かで平和そのものである
ところが、こうしている今も世界では戦争があり、誰かが犠牲になっているし、日本では石川能登の大地震によって家族を失ったり、大変な思いで避難生活を余儀なくされている人々がいる
頭で分かっているが実感はない
経験をしていない自分には要するに他人ごとである
僕は僕自身と自分の周りのことにだけ注意が向いているのだ
こんな歳になってもそんな小さな視野の自分が嫌にならないでもない
それにしても日本の政治の劣化が著しい
政治家だけの責任には思えず、日本の構築してきたマツリゴトの仕組みそのものが機能しなくなっているように思える
もちろん仕組みは人間の作ったものなので、時代に合わせて柔軟に変えていければいいだけだが、日本人はどうにもその辺りが不得手である
一旦作ったものにしがみつくきらいがある
変えられないのである
ましてや高齢化社会になっていて、僕も含めて高齢者が増えるとその傾向はさらに高まるだろう
日本はずっとそう言われ続け、外圧でしか変わらないと言われてきたがその通りだと僕は思う
ジャニーズ問題も決め手は国連の人権理事会だった
日大は外圧が働かない閉鎖された環境のためにいまだに変われないでいてこれは日本の政治と似たような構図である
権力者が権力者に都合の良いようにできてしまう仕組みを変えられない
その根本的な理由は、不透明性にある
もっと端的にいうと、具体的に比べられないのである
分かりやすい例を挙げると、大谷翔平である
彼が一流であると認められるのは、成績に他ならない
打率が三割を超え、ホームラン王になり、投手として二桁勝利を挙げる
しかもこれだけではない
さまざまな客観的数字が分析され比較されている
そのほとんどで抜きん出た存在になっているのが一目瞭然なのだ
翻って、日本の政治はどうか
比較できる何かがあるか
彼らの優劣を判断する指標は何か
はっきり言って何もないのである
いや、実は中身を透明化すればいくらでもできるのだが、肝心の中身がブラックボックスになっている
それが彼らを守り続けている仕組みに他ならない
日大も同じ
日大の経営層の優劣を判断する指標があるかということ
物事を変化させるには見えなくてはならないのである
それがスタートラインになる
お笑い芸人の松本人志の性加害問題が文春に書かれたことがきっかけで休業に追い込まれた
まだ真実はわからない
わからないが、文春が外圧だったことは間違いない
今まで見えなかったものが見えたことで変化させられたのである
政治資金規正法問題も同じだが残念なことに抜本的な解決にはならずまた同じことに戻るだろう
外圧が働いていないからである
日本の政治に対する外圧とは何か
選挙である
国民の意思である
それを年頭に強く思う