めいそうえっせい

色々と心のままに

地の声について 中村天風氏の修行より

おおいみつる氏著作による「ヨーガに生きる」だったと記憶しているが

 

若い頃の中村天風氏が病に斃れ、治療を求めて諸国を巡るも叶わず

帰国の途につく船の中で、聖者カリアッパ氏に邂逅し、インドまで

ついていって修行すると言う実話に基づいて描かれている

 

この中で、興味を引く記述がある

 

天風氏は、治りたい一心なのだがカリアッパ氏はいつまで経っても

何も教えてくれない

 

焦る気持ちが募る天風氏

 

確か病気は昔の肺病、いわゆる肺結核だったと思うが、当時は抗生物質もなく

治療といえば、環境の良いところで静養し、栄養のあるものを食べるくらいだった

 

カリアッパ氏の集落(修行のための)では、栄養どころか稗や粟のような質素極まりない

食事で、天風氏はこれでは良くなるどころか悪化すると思ってしまう

 

ところが、これは大切な食事療法で、天風氏の元々持っている体のバランスを整え

内側からの治癒能力を引き出す狙いがあったと思う

 

もう一つは、馬だったかに乗るカリアッパ氏に付き添って毎日遠くまで歩かされる。

 

病気で体力の落ちている天風氏は食事と相まって死を早めるだけだと思い込む

 

しかし、これも大切な運動療法で、ただただ養生するだけの日々は天風氏の根源的

な体力をも低下させていて、体の持つ自然治癒力を引き出すためには必要なこと

だった

 

月日が経ち、当初は疑っていた天風氏も、体力がつき、体調も良くなっていく

 

ここからカリアッパ氏の本当の修行が開始される

 

まず、天風氏に滝の轟音響く場所で座らせ、鳥の囀りの音を聞けと言う

 

天風氏に鳥は見える

 

が滝の音が凄まじくそんなものが聞こえるわけがないと思う

 

それを来る日も来る日も続ける

 

ある日、ふと鳥の囀りが耳に届く

 

喜び勇んでカリアッパ氏に報告に行く天風氏

 

そうか聞こえたか

 

それが地の声だとカリアッパ氏

 

その日から天風氏は滝の轟音のもとで自在に音を聞き分けられるようになる

 

これは何を意味しているのか

 

音への集中力と聴覚の制御力を鍛えていたのだ

 

人間の聴覚を研ぎ澄ますこと

 

日頃、人は聞きたい音だけを聞いている

 

面白いテレビ番組を見聞きしていても、好きな音楽が流れれば自然にそちらに

注意が向き、その時はテレビ番組の音は聞こえなくなる

 

では聞きたくない音が気になるとはどう言うことか

 

聞きたくない音であると言う認識によって、かえってそちらに注意が

向いてしまっているのだ

 

自分はバイクの音が嫌いだ

 

嫌いなので遠くに響いただけで気になってしまう

 

うちの女房はまったく気にならない

 

嫌いではないからだ

 

音が鳴っていることさえ気づいていない

 

他の音に注意が向いているから

 

五感は制御できる

 

好きであればあるほど、嫌いであればあるほどその感覚を制御するには

レベルが上がるができないことはないと今では思える

 

例えば瞑想

 

瞑想は静寂の環境で行うのが理想ではある

 

座禅を思い浮かべてもらえれば分かりやすい

 

瞑想(座禅)によって内側に深く入っていくと、線香の灰が床に落ちる音に気づく

と言われる

 

そのくらいの研ぎ澄まされた聴覚レベルとなる

 

地の声を聴けるようになった、つまり聴覚を鍛えられた天風氏にカリアッパ氏は

今度は天の声を聞けと言う