めいそうえっせい

色々と心のままに

一人旅に行ってきた 長野飯山編

魚津に泊まった翌日、長野の飯山に向かった

 

向かったというより、東京までの帰り道の途中だが

 

飯山には、正受庵というある禅僧が修行した庵がある

 

ここにはずっと行きたいと思っていた

 

この旅の目的の一つだ

 

朝から降り続いた雪で飯山の町は一面の雪だった

 

しかもずっと降り続いている

 

急な大雪のために除雪もほとんどされておらず雪の中を歩く

 

昼過ぎに着き、腹ごしらえしようと蕎麦屋を見つけて入った

 

78歳の親父の打つ蕎麦は文句なく旨い

 

そして人懐こく色々聞いてくる

 

豪雪で有名な飯山に12月中旬にいい年をしたオヤジが一人で来て正受庵に行くって

言うもんだから何かを感じたんだろう

 

その親父が、女房を亡くしたときは3か月くらい何にもやる気が起きなかったって

話を突如し始めた

 

そうかい、そりゃ大変だったね

でもこうやって仕事が出来るのは、自分みたいな定年退職した身からすれば

羨ましい限りだよ

 

親父は嬉しそうにしてた

 

後で気づいたんだが自分が同じような境遇に見えたんだろうかと

 

一人苦笑した

 

店を出て雪の中を正受庵を目指す

 

傘を持ってきて良かった

 

どこまでが車道でどこまでが歩道かも分からない

 

通常なら歩いて15分ほどがいつまで経っても着かない

 

雪道は疲れる

 

息が上がってくる

 

それでも途中で休息しながら何とか正受庵にたどり着いた

 

正受庵本堂

 

庭先の縁側に行く

 

おおいみつる氏による「白隠ものがたり」では、白隠の語る講釈に

正受さんである恵端が、どめくら坊主がと言って縁側から突き落とす

シーンが描かれている

落ちた白隠は、雨が降った後のぬかるみで泥だらけになり、自分の

プライドがずたずたに引き裂かれる

 

縁側から上がり中に入る

 

仏像や正受さんの像などが並んでいる

 

ものすごく質素な空間だが、とんでもなく荘厳な空気が張り詰めているのを感じる

 

そうか、正受さんはここで80歳で入滅するまでたった一人で修行をしたのか

 

気の遠くなるような長い年月をここで

 

合掌し御礼をして辞した

 

残念だったのは、殿様から貰った三角石の水鉢が保護シートをかけられていたために

見ることが叶わなかったことだ

 

春にもう一回来なさいと正受さんが言っているような気がした

 

もちろん来年雪解けに再訪するつもりでいる

 

その後、町に戻りまだ時間が早いのでコーヒーでも飲んで暖をとろうと喫茶店

に入った

 

四人連れのおばさん方がいて、店のママさんと自分を入れてちょうど六人だからと

六本入った串団子を分けてくれた

 

自分も富山の生地で買ってきた蒲鉾をお裾分けした

 

一時間弱を過ごし、すぐ近くの宿へ

 

宿のご主人は54歳で、人の良さが顔に滲み出ているような話好きの人だった

 

部屋は六畳一間、風呂もトイレも別

 

一人用のコタツがあり、すでに布団が敷いてある

 

居心地抜群

 

自分の部屋かと思うくらいだ

 

夕食もご主人が膳を部屋まで運んでくれる

 

ご主人オススメの豚カツ、刺身、どて煮、あさりの味噌汁、漬物など全部美味しい

そして何より炊き立ての白米が格別に旨い

 

食後、コタツに入って今回の旅行記を短編小説にするべく構想を練る

 

何だかモノ書きになった気分だ

 

翌日、朝瞑想をし、朝ごはんは食べず八時半頃宿を後にする

 

ご主人からは小ぶりな飯山のリンゴを5つお土産に貰った

 

帰りの新幹線の中で、ほぼ小説は出来上がった

 

 

素晴らしい一人旅になった