めいそうえっせい

色々と心のままに

歳を取るとそういうこともあるのか

仕事をし、子供を育て、人生で一区切りのつく還暦を過ぎてくると、ほっとするのも束の間、色々な変化が起こってくるんだな

 

今までは思いもしなかったけど、自分の体の変化だったり、周囲の変化だったり

 

特に周囲の変化に気づくようになってくる

 

例えば、知人の健康状態やその家族の不幸だったりする

 

要するに自分だけじゃないんだと

 

先日も古い知人から連絡があった

 

会社の一つ上の先輩だが、もう二十年くらい付き合っていて、自分で言うのもなんだが互いをリスペクトしているような良い関係でもある

 

コロナもあってこの数ヶ月会っていなくて、彼はまだ仕事をしていてそれなりに多忙なのでまあ落ち着いたらまた昼飲みでも行こうと話はしてたんだが

 

以前ゴルフに誘って欲しいと言ってたのを思い出して誘ったところ、その返信には、この数ヶ月の間、自分と奥さんが入院していたそうだ

 

奥さんが様々な原因不明の不定愁訴に悩まされているのは知っていたし、それが精神的にまで問題を引き起こしているのも知っていた

 

本人も一度、胸部のがんの疑いで手術をしたこともあったが、今回は狭心症発作で、スパスムと呼ばれる心臓の血管が何かの拍子にぎゅっと縮むらしく、結構重いという

 

なくしてみて初めて健康の有り難みを知ったと綴ってあった

 

確かにその通りだろうな

 

日頃はなんとも思わなくて、普通に何の不自由もなく生活できているとか、家族が健康で過ごしているとかが当然のようで、もっとチマチマしたどうでもいいことを気にしていたりする

 

ところがいざ自分でも家族でも重い病気に罹ったり入院したりするとそれが一変してしまう

 

ああ、あの生活は当たり前じゃなかったんだと気づく

 

贅沢など全く出来なくても、なんの憂いもなく過ごせることの有り難みを改めて感じるし、なくしてみて思い知るのだ

 

歳を取るということは周りも同じだけ歳を重ねていて同じように変化をしている

 

当たり前だと言われるかも知れないが、若い時とはそのインパクトは全く異なる

 

若い頃、例えば古い友人の家に遊びに行ったりすると、お子さんが大きくなっていて

もうこんなに大きくなったんだねと驚くが、その驚きとは相当違うのだ

 

生老病死は人間がこの世で生きていく上での四つの苦しみだとされる

 

僕の瞑想をする上での大きなテーマはこれらを超えることにある

 

苦しみを避けることは出来ないのでそれを超えたいのだ

 

少しずつでも前進したい