めいそうえっせい

色々と心のままに

シンプルな生活とコロナ

少しずつシンプルな生活が退屈ではなく自然な在り方だと思えるようになってきた

 

あくせく働いてきた長い時間

 

あれやこれやを心配し悩み過ごしてきた日々

 

常に何かを「せねばならない」ような強迫観念が少なからずあった

 

瞑想が自分に必要なものだった理由でもある

 

ずっと日曜日の夕方が嫌だった

 

明日はあれをしてこれをして、今週はこうしてああして

 

自分が心から喜べる仕事をしている人は幸せだ

 

もちろん自分もすべてがそうだったわけではない

 

仕事が楽しく生きがいと思えることもあった

 

でも会社を卒業したいまやはり思い出すのはほとんどが大変な日々だ

 

それがあったからこその今でもある

 

立派に立ち向かえたかと問われれば胸を張ってそうだとも言えないが少なくとも逃げないで良かったと思うしそれで充分だったと

 

ただ時間が流れる日常になった

 

せねばならないこともなく急き立てられることもない

 

ただ瞑想し本を読みモノを書く

 

贅沢などまったく必要がない

 

旨い高級なフランス料理や寿司やステーキにも興味がない

 

海外旅行や高級車などにも興味がない

 

寿司はたまに食べたくなるので近所の寿司屋に数か月に一度行くくらいか

 

蕎麦が好きなのでいい蕎麦屋があれば行きたいが残念ながら近所にはない

 

昨日の昼は珍しく女房と出かけラーメンを食べに行った

 

魚介出汁のあっさりした塩ラーメンだったが非常に旨かった

 

素材にこだわって自然のものを厳選しているとのこと

 

たまにはラーメンもいい

 

幸せな瞬間だった

 

世はコロナ感染症で大変になっている

 

感染して辛い思いや家族、知人が亡くなったりした人はもちろんのこと仕事がなくなったりして生活そのものが大変になっている人も少なくないようだ

 

ステイホームやソーシャルディスタンス(今はフィジカルディスタンスというそうだが)と言われ、従来の社会生活そのもののあり方が問われている

 

世界は価値感の大きな転換点にあるのかもしれない

 

大変なことを経験してその大切さを知る

 

コロナもいずれは収束するだろう(期待を込めて)

 

そのとき、いかに人間同士の触れ合いや今まで普通だった社会生活が貴重なものであったかを思い有難いと感謝するだろう

 

そこに新たな気づきがあるように思える

 

つまり当たり前のようにあるものと思っていた日常がそうではなかったと知る

 

平和が当たり前の日常があるように

 

衣食住というが、住むところがあり着るものがあり食べるものがあり、そのうえでさらに仕事があり会って話せる人があるという日常

 

これが実は贅沢なことであるという価値観

 

シンプルな生活で十分恵まれている感謝

 

有難いとは、有ることが難しいと書く