めいそうえっせい

色々と心のままに

ちょっと大袈裟だが相対世界と絶対なる世界のこと

今朝は嫌なことがあった

 

心が波打つ

 

本来なら落ち着きを取り戻してから瞑想するのだが予定があってそのまま瞑想に入った

 

なかなか本来の瞑想にならないな

 

やっぱり無理か

 

と思っていたら何のことはないこれも雑念の一つなので結局すんなりと瞑想に入っている自分を発見する

 

そして瞑想の深みに入った際に、今朝の嫌な思いをもたらす出来事がふと湧いてきた

 

しかしそのには何もなかった

 

その出来事は事実としてあったが心を動かすものは存在しなかった

 

ああこれが絶対というものの性質なのかと気づく

 

瞑想の深みから現実という相対世界に戻ってくる過程で同じ出来事を思い出す

 

するとだんだん心の波が増えてくる

 

ああこれが相対界に戻るということか

 

そしてふと思う

 

この出来事にどう対処しようかと

 

どんな選択も可能であった

 

嫌な人間になることも出来たし、愛情豊かな人間になることも出来た

 

自分の行ってきた行動の結果である相対世界から来る影響、これをカルマというのかもしれないが、それをそのまま受け入れると、嫌な人間になる選択だった

 

自分の可能な最も愛情豊かな選択を探してみた

 

その選択を思い浮かべると呼吸が楽になる

 

でもこの嫌な出来事に対し、そんな選択が果たして自分に可能だろうかと思う

 

嫌を嫌で返すのか

 

嫌を愛情で返すのか

 

結局、最高の愛情ではなかったが以前の自分では選択し得ない選択をした

 

いざ選択し行動をしてみると晴々した気持ちになる

 

選択して良かったと思える

 

これが小さなことではあるが、絶対なる世界に開かれることによって人が少しずつ成長するという証左かもしれないと思った