仕事をしている時、散々聞かされた「生産性」
生産性ってなんだ
考えようによっては今全く生産的ではない
どちらかと言えば生産ではなく消費だな
ではどういう人が生産的なんだろう
より多くのお金を生み出す人か
より多くの人に影響を与える人か
この定義が正しいなら自分は全くの非生産的な人間である
先日、昔の知り合いから近況報告のメールをもらった
彼はそろそろ還暦だと思うがやはり65歳まで働くことを選択している
コロナで出勤が週1、2回だそうだ
在宅勤務というわけだがそれほど仕事があるわけでもないので時間を持て余すらしい
適当にブラブラ外に行くわけにもいかない
どうしてますかという内容のメールだった
その時こう書いた
非生産的な日常を経験してようやく少し生産性の意味が分かったと
今の自分の日常で言えば、モノ書きをしている時間は全くの非生産であり、瞑想の時間はその真逆の非常に密度の濃い生産性溢れる時だと
瞑想が生産的であることの意味はなかなかに説明しづらい
シンプルに言えば自分が瞑想でストレスが減れば周りにも良い影響をもたらせられるということか
モノ書きは自分の枠を出ないのでやはり非生産だろう
その後、考えが変わった
瞑想が多元的にこの上なく生産的なのは間違いなく言える
モノ書きは趣味の延長線上ではあるが自分にとっては素晴らしく生産的であることに気づいた
それは最近ある作品を書き始めてからだ
この一年あまり様々なジャンルのものにチャレンジしてきたがその中で少しずつ見えてくるものがあった
先日、ある友人が自分の作品を読んで「薫風」と言ってくれた
自分にとっては最大級の賛辞だと思う
瞑想によって絶対の領域を知る
そこから生まれる気づきを作品に投影する
これが元々の自分の考えであったのだが、言うは易しで具体的な象を結ぶことは難しかった
それが徐々にではあるが具象化に近づきつつあると思えるようになった
「薫風」
初夏、木々の緑の間を吹き抜ける風
まさしく今の時期の風
未来や希望の予感を持たせてくれる風
そう、未来であり希望
絶対の領域から生まれ出る具象化に最も近いイメージ
厳しい冬を乗り越えてこそ感じられる心地良い風
よし、という風
素晴らしい薫風の人々
薫風は具象化された相対界に吹く風
一時の風
その一時がまさしく無限の永遠に開かれる時、最大の生産性が生み出される