めいそうえっせい

色々と心のままに

ビルゲイツの離婚

最近、女房との関係が思わしくない

 

特段、何か問題が起こったわけでもないのだが何かしっくりこない

 

ちょっとしたことでイラついてしまうことがある

 

今朝もそうだった

 

彼女は半分仕事で半分趣味のようなことをやっているのだがそのオンラインミーティングをzoomでやるという

 

そのやり方についてID発行元の場所に、入り口となるアドレスをメールで送ってもらったら、そうすれば各自がID入力しなくてもいいかもよとアドバイスをしたのだが、ふんふんと聞いていたにも関わらず、最後に、特別の意味もなく、ね、そこに聞くといいよと言うと、あ、いい、いい、私聞くからと答えた

 

ん?いい、いいってどう言う意味だ?と引っかかってしまった

 

こっちはせっかく丁寧に説明しアドバイスしたにも関わらずと思ったわけだ

 

それを彼女に言うと、そんなこと言ってないと言い張る

 

聞いた方がいいと言われたから聞くと言っただけだと

 

大したことはないといえばそれまでだが、こんな感じのことが最近妙に増えたように思えるのだ

 

高齢夫婦ゆえのすれ違いってやつだろうかとも思う

 

そんなことを思っていたら昨日、ビルゲイツの離婚の記事を見た

 

子供もいて30年近く連れ添っていたと言う

 

富豪で言うとアマゾンのジェフベゾス?だったかも離婚しているそうだ

 

夫婦としてこれ以上成長が見込めない・・・そうだ

 

この理由も凄いが

 

夫婦という全く異なる人格の男女が、共に暮らして何十年を過ごす

 

夫婦として成長するという意味はなんだろう

 

推察すると

 

良い影響を与え合いお互いがお互いから何ものかを吸収すると言うことか

 

もしそうなら成長できないと言うことは、良い影響を与え合うことが叶わず、それゆえにお互いがお互いから吸収できるものがないとなる

 

ビルゲイツほどの成功者が言うのだからとんでもないレベルなのだろうが、長く連れ添った夫婦にとっては辛く寂しいことだろう

 

ビルゲイツは65歳、奥さんは56歳だそうだ

 

もちろん大富豪で大実業家でそして大慈善家である

 

奥さんはきっと長い間「ビルゲイツの妻」と呼ばれただろう

 

その傘の下から出たくなったのかもしれない

 

傘の下なら雨には濡れないけれど、燦々とした太陽を浴びることもない

 

そうやって考えてくるとうちの女房にも似たような感じがある、いやほとんどの奥さんに言えることかもしれない

 

傘から出たいと言う欲求

 

本来対等であるはずの夫婦という関係

 

足りないものがあれば寄り添い支え合う

 

満たされると離れたくなる

 

まるで潮の満ち引きのようだ

 

陰と陽

 

この相対界の全てがそのように回っている

 

やっぱり不思議でもないのか