めいそうえっせい

色々と心のままに

定年後の日々

最近はコロナの影響でオンライン飲み会なるものが流行っている

 

定年した自分にもいくつかお誘いがありすでにかれこれ7−8回は

参加している

 

お手軽で楽チンなので悪くはないが

やはり直に会って飲み食いしながら話すのとは雲泥の差だ

 

昨晩は地方に住む弟夫婦と四人でやってみた

 

その前は会社の同期(ほとんどが退職している)12名ほどでやった

 

久しぶりに話す同期の面々はなかなかユニークだ

 

定年して間もない何人かはハローワークに通っていて失業保険の手続きだとか

ハンコ?をもらうやり方なんぞを先輩格に一生懸命聞いていた

 

何人かは再就職していてなんとなくプー太郎ではないぞと言う余裕?みたいな

ものを感じた(ひねくれてるか)

 

失業保険の終わった何人かは就職先を探しているらしい

 

そして極め付けが一人

唯一の趣味が韓国に旅行に行く事らしくコロナで動けないのでストレスが

溜まって溜まってどうしようもないらしい

ある奴が新大久保の韓国パブに行けと言ったら今度はコロナが怖くて一切

家を出られないとのこと

まあ元々変わったやつではあったが

 

面白いな

アーリーリタイアメントみたいなものに憧れがある一方で仕事をしないもしくは

できない?ことが社会の落ちこぼれ的なものもあるという

 

なんだろうね

一つは日本人の根にある労働観だろうな

働かない奴はダメな奴みたいな

60?まだ若いんだからみたいな

 

昨日の弟が言ったもんな

ちなみに弟夫婦は子供はなく共働きだ

弟は自営業で定年なし、奥さんはナースで今は週2日ほど気楽に働いている

 

暇を持て余してるんだろ

○○さん(うちの女房)に迷惑だよ

とまあ手厳しい

まるで悪い事をしているかのような扱いだ

 

これにほとんど怒りを感じなかったのはどうしてだろうと考えてみた

 

このブログに何度も書いているがやはり隠れ家(隠居部屋)の存在が

あるからに他ならない(これを書いている今もいる)

 

しつこいようだが家を出ていく場所とやることのあることがどれほど

大きいことか

そこで過ごす時間でどうなっていくかは人それぞれではあると思うが

例え素晴らしい女房で、旦那を理解しいかに愛情と思いやりが深くても

24時間365日一緒にいればやはり息も詰まるし何より自分自身の

家での過ごし方がツラくなってくる

 

仲の良い会社の同僚だった奴(同じころ定年)は良い女房に恵まれているが

毎日1時間半ほどかけて相当な家事を率先してやってさらに散歩を1時間ほど

していると聞いた

 

それはもちろん悪くはない

家事も散歩も

 

ただ決定的に違うことがある

 

生産性がないと言うか目的や目標がないのだ

 

隠れ家(隠居部屋)にはまず家賃がかかっている

定年後にそれほどお金に余裕がある者は多くない

月数万円でも結構イタイ

 

ゴルフが趣味ならメンバーコースに週一行けば月4万

交通費やギア関連など入れれば月5万程度にはなるかも

しれない

 

気分転換にはなるがそれでも週一だ

 

自分はしないが釣りなんかも結構お金はかかると聞く

 

同期の一人はテニススクールに週2回通い、さらにカルチュアスクール

なるもので小説を書く教室にも行っている

多分これでも月数万円程度はかかるだろう

そば打ちや料理教室、陶芸、絵画など始めるものも多いやに聞くが

まあ友達作りには良いかもしれないがやっぱりそれなりに金はかかる

 

金がかかることが悪いわけではない

何度も言うが生産性があるかないかだと思うのだ

 

本気で蕎麦屋を開業するつもりだったり小説家になろうと思っていたり

と具体的な目的・目標を持っているならそれは素晴らしいことだ

 

お金を稼ぐと言うことではなく仕事の終わった今こそ自分の中に何が

あるのかを見つけることに時間を費やしたいと思うのだ

 

昨年春のことだが自分のいくつか上の先輩が辞める間際に色々と趣味が

多くて困っているくらいだと言っていたが実際辞めてみると結局は時間を

持て余してしまい趣味自体が面白くなくなり家族から離れて一人実家の

ある地方に帰って過ごしているらしい

そして本気かどうかは不明だが市議会議員から市長を目指すなんてことを

言っていた

生まれ育ったところなら友人知己は多いだろうし非常に弁のたつ社交的な

人なのでアリかなと思えたくらいだ

つまり先輩は目的目標が欲しかったのだ

それを回り道して見つけたと言うことだ

なんの生産性もない趣味に明け暮れる楽しい暮らしは我慢できなかったのだ

 

いい悪いではない

 

そのように育ち生活をし価値観を持ってしまっているのだ

 

ただいずれは何もしない何もしなくていい

と言う生き方に目覚める時が来るかもしれない

 

それはそれで素晴らしいことだ

 

自分は瞑想修行を通じてそうなりたいと思っている