めいそうえっせい

色々と心のままに

不眠症?からの立ち直り

昨晩めちゃくちゃよく寝た

 

不眠症と思ってたのは何だったのかというくらい

 

何らかの大きなストレスが解消されるプロセスだったのか

 

本当に不思議なもんだ

 

でも規則正しい生活は大切だということを改めて学んだ

 

前回も書いたが不眠症というのはなんらかのきっかけがあって

 

眠りにつけなくなったり中途覚醒したり早朝覚醒したりすると

 

またそうなるのではないかという不安心理によって悪化する類いのものだ

 

もちろん病的もしくは器質的なものが根底にある場合は除いてだが

 

通常特に何もなければまあ大丈夫だろうということで元に戻るのだが

 

他に心配事や大きなストレスなんかを抱えているとその程度のことが

 

心の重荷になってしまう

 

心が健康な時には考えもしないような方向に行ってしまうことがある

 

不眠症の場合で言えば

 

このまま一生こんな夜が続いたらどうしようとかこれが元で病気になったり

 

家族に迷惑かけたりしたらとか様々なマイナス心理へと繋がっていく

 

開き直るのが一番いい特効薬なのだがそれがなかなか出来ない

 

二日前の夜は自分でもそう思った

 

そして変えた

 

不安を手放すことにした

 

ある本で不安と罪悪感は人類の最大の敵であると書いてあった

 

その通りだと思う

 

そして不安や罪悪感はこちらから手放せば向こうも放してくれるとも

 

だからもう手放そうと心に決めた

 

そのように心が前向きになれたのはやはり瞑想によると思える

 

瞑想はマインドコントロールではない

 

これだけは明確に言える

 

全く逆でコントロールしないようにするのが瞑想である

 

心はコロコロというのが語源という説があるそうで要は掴みどころがない

ことを指すらしい

 

心を自分の意のままにコントロールしようとしても出来ない

 

ただここが肝心なのだが

 

結果的に心を自分の支配下に置くことはできる

 

矛盾のようだが精神修行の目的の一つはそこにある

 

心は感覚器官と密接に結びついている

 

どんなに魅力的な女性を見ている最中でも美味しそうな臭いがすれば

すぐそちらに心は向く

そして大好きな音楽が聞こえてくれば今度はそちらに向くといった具合に

 

そしてそれは心の自然な傾向に他ならない

 

それを何らかの力などでコントロールしたり抑え込んだりしても結果は

労多くしてなんとかになる

 

見たいものは見たい、嗅ぎたいものは嗅ぎたい、聞きたいものは聞きたい

触りたいものは触りたい、味わいたいものは味わいたい

 

当たり前のことだ

 

人は心が満足するように動いている

 

もちろん人は五感からくる欲求だけでなくマズローの説にあるように社会的欲求

だとか承認欲求だとか自己実現欲求だとか様々な欲求を持っている

 

それら全ての欲求は心に支配されている

 

ある人が出世して社会的欲求を満たしたいと思ってもある人はそんなものには

一切興味がない、毎日美味しいものが腹一杯食べられれば満足という人もいる

 

人それぞれだしそれで良い

 

では心の欲求という視点からなぜ瞑想するのか

 

次回