めいそうえっせい

色々と心のままに

瞑想とサヴァン症候群2

とにかく飽き性でムラがある

 

そんな自分はダメだとずっと思って来た

 

入った大学も就職した会社も自分が心から行きたいところだったかと

問われるとノーとしか言えない

 

では他にあるかと言われるとなかった

 

今思えば自分を知ろうとはしていなかった

 

それが原因不明の不眠症になり、瞑想を知るきっかけとなった

 

そして瞑想を通じて自分というものをより深く知るようになった

 

自分という人間は飽き性で人間関係の維持が下手で時々癇癪を起こす

言ってみれば大人になりきれない大人(もはやジジイか)なのだ

 

しかし瞑想のおかげで自分を知ることができた

 

それだけでも前進だ

 

そして興味のあることには異様なまでの集中力を発揮することにかけては

(長く持たない特性があるにせよ)多少誇れる面もある

 

これは自分が会社の役職が上がるごとに感じていたことだ

 

マネージャーポジションに着くと、自分自身で仕事をこなすのではなく

部下や組織を動かす必要に迫られる

 

早い話、全体感というか包括的というか洞察力というか、はたまた直感力

も含めてトータルで物事を決断していかねばならない

 

その能力には長けていたように思う

 

これはいわゆる「考えて」生まれるものではなく「自然に」生まれてくる

ものだから

 

何かを決める、論を俟たない

 

だから迅速で迷いのない決断が可能となる

 

理屈などない

 

自分が「天才的な」サヴァン症候群であるとは思わない

 

ただ、基本とされる知識などいわゆる知能が低いとされているサヴァン

人々の中には、異常なまでの記憶力や数的知覚能力を発揮する人が存在する

 

そして彼らになぜそれが可能なのかを問いても何かを調べても何もわからない

ただ彼らには「わかる」だけだから

 

自分は長い間瞑想を続けて来た

そのおかげで平常心なるものも多少は身につけて来たように思う

 

しかし今でも時折、癇癪的というか発作的というか怒りの感情を見せてしまう

ことがある

自分はそれを何とか変えたいと思って来た

 

例えば音には特に敏感だ

 

気に入らない雑音があると集中に支障を来す

 

そっちが気になる

 

何だか自分が被害者のように感じてしまい怒りが湧く

 

同じような雑音でも気にならないものもある

 

例えば子供の遊び声だ

 

近所には5、6人の子供たちがいて時折遊び声が聞こえる

 

その子供たちの声の中に気になるものとならないものがあるのだ

 

たかが子供の声だしと思うがどうしようもない

 

いやなかった

 

なぜならほとんど気にならなくなったから

 

それは自分を知ることによって可能になったことだ

 

瞑想は内側への一種の集中をもたらす

 

集中力があるかどうかには関係がないらしいが結果的に集中することに

変わりはない

 

自分に得意なことだったのだ

 

自分の内側へと向かう旅は人間にとって重要な意味を持つことはすでに

理解している

 

それに瞑想という手段が合うか合わないかはあるのだろう

 

例えば山登りが好きな人は、辛いと見える山登りをしている最中に自分自身に

知らず知らず集中しているのではないかと思える

 

料理好きも然り、園芸好きも然り、おしゃべり好きも然り

 

何でも自分に合った大好きなことの中には自分自身の内側に集中する秘密の

ようなものが隠されているような気がする