久しぶりに札幌に行ってきた
もう20年も前になるが当時は札幌で仕事をしていた
その時の仲間が誘ってくれたのだ
コロナの新患が増加していたので躊躇いがないではなかったが
しっかりと対策をしていけばと言う思いだった
懐かしい面々が顔を揃え賑やかな宴席になった
宴席も完全独立した部屋を貸し切ってお酒も用意してありスタッフの方々との
接点もほぼ皆無
札幌の場合、観光客が多く訪れているのがコロナ増加の一つの要因であろうが
やはり最大のリスクはススキノではないかと思える
ススキノは素晴らしい歓楽街でいろんな意味で多くの人々が魅了される
飲食はもちろんのこといわゆる風俗店も多いのだが何より素晴らしいのは
あっけらかんとしていることだ
歓楽街にありがちな暗く危険で罪悪感を漂わせる雰囲気はかけらもない
だからこそどうしても気持ちがおおらかにかつ開放的になりやすいのだ
それが蜜を生みやすい背景があるように思える
理性を吹き飛ばすパワーがある
コロナ患者の増加は決して褒められることではないが対策を完全にしてゼロ
を目指すということはとりも直さず店を閉めるということしか手立てはない
with コロナと言われて久しいがある一定のリスクを許容しながら上手く
付き合っていくしかないのだろう
それにしてもある時期をともに深い付き合いをした仲間というものは
ありがたい存在だ
彼らに会うと勇気をもらえる
当時若かったのもすでに40を過ぎている
いっぱしのビジネスマンになっている
成長していることがわかる
やる気に満ちているのがいる
一方で挫折を心に抱いているものもいる
現役を退いた自分から見るとどれも過ぎてきたことであり
そんなに心配することないぞと声をかけるのだが当の本人は
真剣だからそんな簡単な話でもない
もちろん自分もそうだった
とはいえそう言ってやると気持ちは多少晴れるかのようだった
そしてそれは本当にその通りなのだ
どんなことも移ろい過ぎていく
辛いことも悲しいことも嬉しいことも楽しいことも
この世は幻想であるとものの本にはよく書いてある
確かに止まって永遠に変わらないものは何一つとして存在しない
永遠だと誓った愛でさえ移ろいゆく
みんなで記念写真を撮りそれを後で見た時自分が改めて年を取ったと
思える
変化している
当たり前のことだ
同じ年代と比べれば若いだ老けているだというだろうがそんなものは
大した違いじゃない
自分らしく生きる
何より大切なことだろう
若ければ若いなりに年取れば年取ったなりに
そうやってこの世の生を終えて次の旅に向かう
次の旅に何が待っているのだろう
自分は次の生で何を選択して生きていくのだろう
旅は様々なことを気づかせてくれる