瞑想中にふと依存心という言葉が浮かんだ
僕は多分依存心の強い方である
いい意味でも悪い意味でも母親の影響があるように思う
入社して数年経った頃の上司に、何かの折に、君は依存心が強いねと暗に良くないことだという意味を含ませて言われたことがある
それが今も心に残っているということは、自分自身にその言葉が刺さったためだろうし、何よりも自分自身がそれを引け目というか、心の弱さとして気づいていたためだろう
依存という言葉はあまり良い意味では使われない
何かに頼らねば生きられない、つまり自立していないような姿が思い浮かぶ
依存症などという言葉もある
ところが、依存という言葉そのものは、考えてみると、存在を(に)依るとなり、勝手な解釈ではあるが、元々は、帰依に近いのではないかと思い至った
(依存の語源を今度調べてみるが)
つまり自分の全存在を委ねる
人は生かされているとなかなか気づくことはない
なぜ人は死ぬのか
死は突然やってくる不幸なものと思い込んでいるが果たしてそうか
この相対的な現実世界にあるものは全て変化する宿命であり、その儚い何物かに、依存せねばならない弱い心を持っているからこそ、いずれはその意味を悟る時がやってくる
絶対的なものを知り、それに依存することこそが実はとても大切だと
人間として現世に生まれ、成長する過程で起こる自然のプロセスの一つであって、依存心を強く持って生まれたことは決して不幸ではないと思えるようになった
すると、変化するこの世のものに依存することが減っていく
かといって自我の強さというか、自分だけを恃みにするのでもない
自分は生かされている、そのことに気づき、生かしてくれている絶対的な存在に自分を委ねることによってこの世の全てを少しずつではあるが受け入れてより自由になっていく
そんなことを思った