めいそうえっせい

色々と心のままに

京都の魅力と京都人 3

祇園のあるこじんまりしたKというお茶屋さんに出入りした

 

お茶屋さんと言っても、芸妓舞妓を呼ぶわけでもなく、居心地の良い和風バーのような雰囲気で、当時で大体一人5千円程度

 

玄関をガラッと引くと、女将さんが出てくる

 

まだ一見さんお断りの時代で、僕は、会社関係でのつながりで顔馴染みになった

 

座敷に上がると、バーカウンターの間があって、女性が接客してくれる

 

アルバイトの女子大生だったが、驚くほどの京美人(もちろん出身は知らないが)

 

その隣には、10畳ほどの和室に炬燵があって、冬はそこに入って酒が飲める

 

ある時、取引先の人に連れられるままに、他のお茶屋さんに行った

 

その後しばらくして馴染みのKに行くと、女将さんが

 

「◯◯はん、あそこに行きおしたですやろ」

 

と言う

 

僕は、あ、やばいと思い

 

「さすがやな。女将は凄いわ。一流ちゅうことやなあ」

 

と知ったふうなことを「京都人らしく」答えた

 

お茶屋はここと決めたら他に浮気してはいけないことは知ってはいたが、まさかそこまで人の情報ネットワークがあるとは思っていなかった

(今はどうなんだろう)

 

マンションの近くに床屋さんがあって、そこに行くようになった

 

何度か行くと顔と名前を覚えられる

 

その後、しばらくすると今度は待っている間にお茶が出てくる

 

さらに、しばらくすると、本当は千円かかる爪掃除がサービスになって、さっぱりして店を出ると、驚くほど爪がピカピカになっている

 

ある時、東京で髪を切った

 

それからまたその店に行くと、親父が僕の髪を触りながら怪訝な顔で

 

「これ、うちの仕事やおまへんな」

 

と言う

 

明らかに不満な様子

 

僕は慌てて

 

「分かるやろ。やっぱり髪を切るのはここじゃないとあかんわ」

 

と「京都人らしく」言った

 

最初に出会った取引先の方も、「ほんまはあんた好きちゃうんや」と言われた時、僕が「あ、そうですか。実は僕もなんです」と「京都人らしく」答えられたら、もしかすると関係が途絶えることなく今もいい関係でいられたかもしれない

 

誤解を恐れずに言うなら、京都人はいけずであり、気位が高く、簡単には腹を割らない狭量さも見え隠れするのだが、実は、繊細で心優しい人が多いと思う

 

僕はある時、八坂タクシーの運転手さんに聞いた

 

「京都の人は白黒をはっきり言わないですよね、なぜなんでしょうか」

 

「それはあれですやろ。その昔から朝廷やら何やら、要は、黒か白かはっきりしてしもうたら生きていけんちゅう世界やったんちゃいますやろか」

 

そういうことなのだ

 

生き抜く知恵が人と人とのつながりを強くし、得体の知れない者をすぐには受け入れないようになり、そのような者をより深く知るために、時間をかけて、試すかのようになったのだ

 

そしてここが肝心だが、ピュア京都人、つまり何代にもわたって京都に住んでいる人ばかりが京都人ではなく、京都の流儀とか人との付き合い方を熟知した人が京都人であると僕は勝手に定義をしている

(京都の方で異論のある人がいたらごめんなさい)

 

いずれにしても「京都人」が京都の素晴らしい歴史などと同じくずっとずっとこれからも生き続けることを僕は心から願っているのだ

 

ああ、もう一度、京都に住めたら!