夜中に出発して不眠不休で登り続けて山頂まで登る方法を今は弾丸登山と呼ぶらしい
まさしく同じことをおよそ30数年前にやったことがある
僕は当時、静岡県に住んでいた
会社の行事で富士登山をすることになり、家族含めて30人くらいは参加したと記憶している
もちろん事前に何にも聞かされていない
静岡駅に集合して貸し切ったバスで5号目に行き、登って降りて、また静岡駅で解散という今から思えば恐ろしいほどの弾丸である
確か子供たちが夏休みに入っていたから、7月の下旬だったかと思うが、僕は仲の良い先輩と二人で参加した
僕が30くらいで先輩は37くらい
まだ体力には自信があった時期だ
登山靴などないから普通のスニーカーだったが、ネットもない時代だけど、どう考えても標高100メートルあたり1度下がるとすれば、地上が30度でも頂上は0度だろうと考え、念のためにかさばるダウンジャケットを持って行った
これに最後は助けられることになる
五合目を午後11時に出発する予定で、バスは到着した
土産売り物屋がやっていて、そこでぶらついていると、店のおばさんが錫のような六角状の木の杖を買っていけと言う
こんなものいらないよと言ったのだが、とにかく絶対に感謝するから買えと言われ、いくらだったろうか、500円くらいか、よく覚えてないけどとにかく買った
これにも助けられることになる
そして登り始めた
何しろ御来光が午前5時前後だったかしら、6時間程度かけて登るのだが、こちらは舐めているので早く着いたら何をしようかとそればかり考えている
富士山には5合目の次は6合目といった具合に、目安になる意味合いと、途中途中で休憩できたり、山小屋があったりする場所が設けられている
6合目にはあっという間についてしまい、この分じゃ、朝の5時どころか1時くらいに着くんじゃないかと先輩と心配したほど
それが徐々に杞憂に変わる
その次は7合目、結構かかるがまだまだって感じ
さあそこからが本番
足元は悪く砂利道だし、斜度も変わってくる
で、はっきりは覚えてないのだが、この辺りから5勺ってのが挟まれてくる
例えば8合からやっと9合に着いたと思ったら8合5勺だったみたいな
あれは実際、ガクッとくるんだな
まあ下から見える灯があんまり遠いと辛いから途中に作ってあげようという優しい心だと思うんだが
8合5勺あたりではもうヘロヘロである
疲れ、寒さ、眠気がないまぜになってとにかく暖かい布団に入って眠りたくなる
そしてとうとう先輩が座りこんでしまった
今と違ってまだ登る人の少ない時代であるし、ましてや8合目を過ぎると、ほとんどの人は山小屋に泊まるので、登り続けている人はほとんどいない
5合目から7合目辺りでは見えた光の連なりなど全くない
真っ暗闇である
この世に僕と先輩の二人だけってな具合なのだ
僕はこんなところで眠ったら死んじゃうよと先輩をなんとか励まして背中を押すようにして登り、山小屋まで辿り着いた
とにかく何も知らないものだから、山小屋は予約がいることも知らないわけで、これ幸いとばかり勝手な場所に潜り込んで寝ようとした
その時である
「こら!!勝手に寝るな!!」
と頭の上の方から怒鳴り声がした
誰かは知らないが多分山小屋のヌシだろうと判断した僕は、まだ若かったために、言い訳を言う前に腹が立った
こんなに疲れ切っているのにそんな言い方はないだろうと
なので先輩にこんなところはやめようと急きたてるようにして山小屋を後にした
長くなったので続きます