めいそうえっせい

色々と心のままに

暇と閑

「スケジュール症候群」は僕の名付けた造語である

 

以前、大学生が手帳の予定がないことを不安に感じる「空白恐怖症」なる言葉があったそうだが、それと意味はほぼ同じである

 

僕の友人を見ていてふと浮かんだ次第である

 

彼は会社を辞めてから、とにかく動き回ろうと必死である

 

必死に動き回るではない

 

動き回るのに必死なのである

 

一方の僕は閑である

 

ちなみに僕はヒマという漢字は、暇より閑が好きである

 

暇は休暇の暇であるが、意味の第一は、仕事などに拘束されない自由な時間とある

 

これは僕のヒマには当てはまらない

 

仕事があっての暇ではない

 

余暇ではないのだ

 

一方の閑には、静かでゆったりと落ちついているさまという意味なので、どちらかといえばこっちの方がしっくりくる

 

人生の達人という匂いというかニュアンスがするではないか

 

僕の友人は、僕が見るところによると、いまだに暇を持て余していて、それをなんとか予定で必死に埋めようとしているきらいがある

 

かといってフルタイムで仕事をしようという気はないようで、せいぜいが週に三日ほどの半日パートのような仕事を入れ、その間に、趣味をいくつかと、知人との付き合い、奥さんとのお出かけなどを詰め込んでいく

 

僕は一時、それじゃあ健康のためには死んでもいいっていうようなものではないかと彼に何度か言ったが、全く聞く耳を持たないのである

 

とにかく忙しくしていないと落ち着かないのだろう

 

何も予定のない一日は我慢がならないようである

 

まあそうやって趣味を増やし、コミュニティを増やし、どんどん広げていることは良いことだろう

 

つい最近も彼に会った

 

やっぱり変わらず、忙しい、忙しい、大変だと口癖のように言う

 

何が忙しいのかとは僕はもう聞かないことにしている

 

なぜかといえば、少し意地悪な言い方になるけれども、本当はそこまで忙しくないことを知っているし、彼はその言葉を言いたいだけだから

 

まあいいかと放っておく

 

そうすると自分で、あれがあってこれがあって、もう大変なんだよと言い出すのである

 

彼は聞いて欲しいのだろうからただ聞いている

 

ごくたまに僕が忙しいときもあって、旅行だとか集まりだとか僕としては予定が詰まってしまっていて、彼に、いや実は僕もこうなんだよと言うと、彼はそれを快く思わないのである

 

嫌な顔をする

 

ほかの人が忙しいのがどうも気に入らないのだ

 

話は戻るが、暇は時間の捉え方が受け身であって何もすることがない消極的な意味に思えるが、一方の閑というのは流れる時間を楽しむ積極性を感じる

 

人生の達人というのは、時間を楽しむ達人なのかもしれない

 

それを目指したいものである