片岡鶴太郎氏は68歳だそうである
10数年前かな、ヨガに専念するために離婚までしたと何かで知った
とにかくストイックな生活らしく、食事は一日一食、睡眠時間は四時間くらいだったかな、ヨガに費やす時間がとにかく半端ない
彼も瞑想を主体に置いているようで、そのために体を整えているということらしい
ストイックと書いたが、苦行でもなんでもなく、心地良いから続けられるとおっしゃる
まさしくその通りなのだろう
聖人と呼ばれる人たちがたった一人で山に籠ったり、世俗との関係を絶って平気でいられるのは、苦しさを我慢しているのではなく、その方が快適だからだろう
彼の瞑想一筋の生活に比べれば、僕の生活なんぞ、俗まみれである
ただ彼の言っている意味だけは理解できる
そのような心持ちになったことは何度もあるからだ
40歳手前で会社を辞めて瞑想を生業とする生活をしたいと思い、カミさんにも言った
大反対された
子供もいるしこれからの生活はどうするのかと
僕は先のことなど一切考えていなかった
今思えばカミさんが正しかったと思う
ただ、比較するのもおこがましいが、あのお釈迦さまも幼少期に家族を捨てて家を出る
何かを捨てねば得られないものもあるのもまた事実である
僕の境地はそこまで至ってなかった
あの時、カミさんの大反対を押し切ってたらどうなっていただろう
多分、離婚となり、カミさんは子供たちを連れて実家に帰っただろう
その後のことは想像できない
もしかしたらインドにでも渡っていたかもしれない
人生は全く違ったものになっていたことだけは間違いない
インドではある年齢に達すると、家族や友人などと別れ、世俗を絶って精神修行の道に入るとされている
すでに僕の年齢ならそうあっておかしくはない
僕は会社を退職した三年前にそのようなつもりでいた
でも今はどうだ
完全とは言えないまでもある程度は可能なのにまったく変わっていない
要は僕自身の問題なのだ
光から遠ざかると暗くなるというのは真理である
片岡鶴太郎氏にそんなことを改めて思った