めいそうえっせい

色々と心のままに

怒りの結末

怒るという感情は正当なものだろうか

 

怒るには理由がある

 

昨日、僕は怒った

 

カミさんと娘と孫娘と行ったお店の店員にだ

 

僕たちは二週間ほど前、コロナに罹った

 

みんなが良くなったら、快気祝いに外食しようと約束していたのだ

 

娘のリクエストで今人気の、焼き肉のお店に行った

 

そこは

 

食べ放題が売りで、三人前を注文するが、注文した品がなかなか出てこない

 

後から来たお客さんの方が先に届いている

 

僕はカミさんに僕たちの注文が先だったけど、もしかして注文は食べ放題というだけで、実際の品は個々で注文しなきゃならないのかなと聞くと、そんなことないよ、前は何も言わなくても、最初のセットみたいな料理はどんどん出てきたからと言う

 

ああ、そうかと待っているがやはり全く出てこない

 

90分の時間制になっているのだが、30分経過しても何も出ない

 

実は、その日の午後の瞑想の後、体がだるかった

 

そういうことはままあり、不思議ではないのだが、そう言う時には、イライラしやすいことも分かっている

 

分かっていながらそれをコントロールできない時がある

 

それが昨日だった

 

僕は、若い男の店員さんに、こんなに遅いのはおかしいじゃないかと声を荒げてしまった

 

彼は、ちょっと確認しますと言ってから、注文が入っていませんと答えた

 

つまりは、食べ放題とは言っても個々の品を注文せねばならないのだった

 

僕は今度はカミさんに腹を立てた

 

いい加減なことを言うからこんなことになったじゃないかと

 

カミさんはカミさんで、だってそう思ってたんだものと悪びれる様子はない

 

僕は先ほどの店員さんを呼んで、謝った

 

そしてやっぱりそうなんだと思った

 

いつもそうなのだ

 

怒りの結末は必ず自分に跳ね返る

 

自分が恥ずかしく嫌な思いになるだけで終わる

 

もし、あの時、もっと優しく店員さんに聞けて、ああ、そうなのかと注文し、カミさんに文句を言わないでいられたらと思う

 

怒りはある意味それに気づかせる役割をも持っている

 

その点では正当性があるとも言える

 

しかしその正当性は自分の成長に伴い必要がなくなるのだろう

 

本当にまだまだだ

 

ただ一つ

 

このようなことに妙な罪悪感を抱かなくなったのは成長の証かもしれない

 

そう言うことにしておこう